あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
ほぼ30年ほど前、貝塚少年自然の家で留津さんの助手で参加した
聖書キャンプの主題聖句。
その時に後に続く聖句が将来到来するのを漠然とした怖さとともに身に染みて覚えている。
多分現在のわたしと雅子は、その身に染みた聖句の将来の今に当たる時期にいるのだろう。
わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。
あれから約30年このみ言葉の前では身に染みたあのころと違った認識がある。
40年前。内平野町の頃、結婚した時期、この犬に出会った頃から人間に死が到来するのを解っているが死をのり越える命のあるのも知った。
悠子が三年生のころ運動会のご座の上でおひるごはんをご一緒したかたから流行りの川柳がラインで送られてきた。
うまかった 何を食べたか 忘れたが
歩幅減り 歩数が増えた 万歩計
靴下を 立って履くのは E難度
いつの時代でも人の営みは変わらない十月の季節を振り返る。
みことばはわたしたちの真実の共通基盤、わたしの目にはあなたは高価で尊い隣人が共にいて、あなたの若き日に覚えた創造者と互いにそれぞれ組み合わされていつまでも続く喜びに溢れる暮らしの遂行(政治)に一緒に参加している。時知らず公共に命がよみがえり与る。ぶどう枝に葡萄の実がなるように。政治の場である公共に与る実は個人の死をのり越えて復活に連なる命がある。
わたしはまことのぶどうの樹。あなたがたはその枝です。(聖書)
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