花帆ちゃんを見ていると希望が湧いて来る。
アジアの仏教圏の国々から民主主義が後退しているのを感じるとコイノニア会で発言があった。タイ、ミヤンマー、ラオス、カンボジア、ビルマの政治状況から、通奏低音のごとく日本まで。個人の信仰が個人の内面から外の隣人との連帯へと繋がらないのになにが原因か禅や仏教に話しが弾んだ。
仏教圏において最大の危機はチベットにある。ダライラマの亡命に始まった。信仰者の投身自殺に希望が託されるのは痛々しく遣る瀬無い。
わたしはチベットで五体投地で礼拝する人々を見て、イエスのニコデモ(民衆の勝利)に語った言葉を思い出した。
ひとは新たに生まれなければ神の国を見ることはない。つまり新たに生まれることは神に助けられる事、すなわち隣人の言葉に助けられること、民主主義な政治が行なわれることが信仰の勝利であるとイエスは語る。
やっぱりチョッピリ勇気は必要 ついでに元気があればいい 一緒においでと呼べば誰でも 友達になれる場所さ ☆大好き! Oh! my town! 今日もハナマルWoo-La-laa
しまじろうも花マル君も家庭に届けられる幼児教育の教材から広がる。教育も、ヤクルト飲料も民に広く行渡る様は生命保険の勧誘も同じ、民主主義もこのように隣人との言論によって広がる。聖書のみことばも人の言葉の真実も人と人の交流から判断されコモンセンスを形成するのは同じである。と花帆ちゃんを見て思った。
片方は遠い未来に死後に、もう一方は生きている今いる日常に、望が成就すること。
禅では仏の御力に助けられ個人が救済される。隣人と個人はそれぞれの仏の御力ほども関係しない。
一方真実は神に与えられ他者と共有するものとなる。
政治はともに幸せになる社会を創ること、個々がその現実に自発的に関わり善きものとしてゆくことをインマヌエルの神(善き隣人)が助けてくださる。薄情な呪いの現実を祝福に変えられる。救いは善き隣人である神とともにあり。
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