国際連合
こくさいれんごう
United Nations
とある。
この国連に敵国条項という条文がある。
敵国条項(てきこくじょうこう、英: Enemy Clauses、独: Feindstaatenklausel、または旧敵国条項[1])は、国際連合憲章(以下「憲章」)の条文のうち、「第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国」(枢軸国)に対する措置を規定した第53条および第107条と、敵国について言及している第77条の一部文言を指す。
さて国連に加盟している日本であるが、わたしはこの敵国条項が法的にどのようにわたしの暮らしにかかわっているのか今まで意識していなかった。
お隣の島根県の政治家だった方が国会に質問している。
平成二十一年六月十九日提出
質問第五六九号
国連憲章の旧敵国条項(第五十三条、第百七条)に関する質問主意書
提出者 岩國哲人
元出雲市長岩國氏は2009年敵国条項について日本の国会にこの条文の見直しを計って行くのかその見解を尋ねています。
その回答が
平成二十一年六月三十日受領
答弁第五六九号
内閣衆質一七一第五六九号
平成二十一年六月三十日
内閣総理大臣 麻生太郎
衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員岩國哲人君提出国連憲章の旧敵国条項(第五十三条、第百七条)に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員岩國哲人君提出国連憲章の旧敵国条項(第五十三条、第百七条)に関する質問に対する答弁書
一について
国際連合に関する諸問題について、関係国とは随時協議してきている。
二について
お尋ねの「憲章に署名はしたものの批准をしていない国々」の趣旨が明らかではなく、お答えすることは困難である。
三について
我が国としては、平成十七年九月の国際連合首脳会合成果文書において、国際連合憲章第五十三条、第七十七条及び第百七条における「敵国」への言及を削除することを決意する旨記述されたことも踏まえ、国際連合安全保障理事会改革を含む国際連合改革の動向など、国際連合憲章の改正を必要とし得る他の事情も勘案しつつ、適当な機会をとらえ、国際連合憲章第五十三条、第七十七条及び第百七条における「敵国」への言及の削除を求めていく考えである。
日本政府の回答がまだすっきりしないのが国連で進められている核兵器の廃絶について日本政府の批准の立場がすっきりしないのとどこか似かよっている気がして、国連会議、核兵器禁止条約を採択 | 国連広報センター
国連の敵国条項とはいったい何のことについて、わたしの腹に落ちたブログを掲載させていただく。
日本の戦後体制(安倍用語によれば「戦後レジーム」)は、ポツダム宣言の受諾から始まっているのですが、そのポツダム宣言が発出された1945年7月26日には、敵国条項を含む国連憲章が署名されてから既に1ヶ月が経過していました。
そして、降伏文書に調印して正式に連合国の占領統治下に入り、1951年9月8日、国連憲章が署名された都市(サンフランシスコ)において、対日平和条約に署名することにより(発効は翌年4月28日)国際社会への復帰が承認され、1956年、日ソ国交回復にともない、ようやく同年12月18日に国連への加盟が承認されたという経過をたどっています。
この間、ポツダム宣言受諾から始まり、極東国際軍事裁判及び連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾することを約した平和条約、さらに敵国条項を含んだ国連憲章などを全て遵守することを前提として、現在の日本の国際的地位があるのです。
これが日本の戦後体制の「法的基盤」です。これは好ましいとか好ましくないとか、気に入るとか気に入らないとかいう問題ではありません。事実としてこうとしか解釈する余地がないのです。
これを、個人として「自分は認めない」というのは勝手ですが、政権を担当する者は絶対言ってはならないことです。それを言った瞬間に、日本は戦後営々として築いてきた「法的基盤」を喪失するのですから。
それはまた、「死文化」したはずの敵国条項を蘇らせることになりかねない愚かな振る舞いです。
果たして、靖国神社に集団参拝する国会議員に、それだけの見識や覚悟はあるのでしょうか。
(弁護士・金原徹雄のブログ)
2014年1月1日
ロシア外相、「旧敵国条項」挙げ主張 北方領土問題
モスクワ=石橋亮介
ロシアのラブロフ外相は21日、ドイツ・ミュンヘンで16日に行った河野太郎外相との外相会談で、国連憲章に「(第2次大戦での)戦勝国の行いは議論の対象とならない」との記述があると主張し、北方領土のロシアの主権を認めるよう迫ったことを明らかにした。
ラブロフ氏は従来、「旧敵国条項」といわれる国連憲章107条には「第2次大戦の結果は変更できないと記されている」と主張している。外相会談でもこの条項に言及しつつ、河野氏にロシア側の原則的な立場を伝えたとみられる。
さて最近戦争で領土をとり戻ろうという話題になっている事件がありました。
西日本新聞によると
「戦争で島を取り返す、賛成か」北方領土訪問で維新議員が質問
平成26年5月15日安倍内閣総理大臣記者会見 抜粋
PKOや後方支援など、国際社会の平和と安定に一層貢献していきます。その上でなお現実に起こり得る事態に対して、万全の備えがなければなりません。国民の命と暮らしを守るための法整備がこれまでの憲法解釈のままで十分にできるのか、さらなる検討が必要です。
今回の報告書では、二つの異なる考え方を示していただきました。
一つは、個別的か、集団的かを問わず、自衛のための武力の行使は禁じられていない、また、国連の集団安全保障措置への参加といった国際法上、合法な活動には憲法上の制約はないとするものです。
しかし、これはこれまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない。私は憲法がこうした活動の全てを許しているとは考えません。したがって、この考え方、いわゆる芦田修正論は政府として採用できません。自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません。
もう一つの考え方は、我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方です。生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を政府は最大限尊重しなければならない。憲法前文、そして憲法13条の趣旨を踏まえれば、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることは禁じられていない。そのための必要最小限度の武力の行使は許容される、こうした従来の政府の基本的な立場を踏まえた考え方です。政府としてはこの考え方について、今後さらに研究を進めていきたいと思います。
日本は戦後70年近く、一貫して平和国家としての道を歩んできました。これからもこの歩みが変わることはありません。しかし、平和国家であると口で唱えるだけで私たちの平和な暮らしを守ることはできません。私たちの平和な暮らしも突然の危機に直面するかもしれない。そんなことはないと誰が言い切れるでしょうか。テロリストが潜む世界の現状に目を向けたとき、そんな保障はどこにもありません。政府は、私たちは、この現実に真正面から向き合うべきだと私は考えます。
世界の平和のためにまさに一生懸命汗を流している若い皆さん、日本人を、私たちは自衛隊という能力を持った諸君がいても、守ることができない。そして、一緒に汗を流している他国の部隊、もし逆であったら、彼らは救援に訪れる。しかし、私たちはそれを断らなければならない、見捨てなければならない。おそらく、世界は驚くことでしょう。
こうした課題に、日本人の命に対して守らなければいけないその責任を有する私は、総理大臣は、日本国政府は、検討をしていく責務があると私は考えます。
私からは以上であります。
安倍内閣総理大臣記者会見で順序が逆に思える、自国の安全保障について、
国連の敵国条項を廃棄して新しく世界に貢献できるこの国の使命について語るのが筋と言うもの。
憲法改正に賛成する維新の丸山議員のような発言が出て来るのは一概に安倍政権の安全保障政策に無関係でないとは言えない。
然しこの政権は何かがずれている安全保障然り、経済政策然り。
安倍内閣官房参与だった藤井氏が共産党の赤旗で消費税について安倍政権と正反対の見解を語っている。
昨年のタニウツギの咲くころ加計学園の隠ぺいにかかわった内閣総理大臣秘書官がいた。
ことしも美しいタニウツギが咲いていますが統計不正が年頭より話題になり、とうとう安倍首相が誇っていたアベノミクスも内需拡大に何の成果もないことが如実になり、勤労者の賃金は減り続けている事実が明らかになりました。
3月の実質賃金マイナス2.5%という速報値は、1月のマイナス0.7%、2月のマイナス1.0%(ともに確報値)を大幅に上回るもの。
安倍政権の前内閣参与で消費税の10%への引き上げに反対してきた藤井聡・京都大学大学院教授の著書『「10%消費税」が日本経済を破壊する』(晶文社)によれば、GDPは2014年の消費増税前から2018年4-6月期までの間に約18兆円(実質値)伸びているが、この間に輸出は約15兆円も増加。ようするに、輸出の増加がなければ〈一年あたり約0.7〜0.8兆円、成長率にして実に年率平均約0.2%しか伸びなかった〉。
かっては「憲法一条の没道犠牲」を「憲法九条の道義性」が補償していた。
いまは「憲法九条の道義性の空洞化」を「憲法一条の道義性の充実」が補填しているのである。
日本国が国際社会に示し得る「道義性の総量」は昔も今も変わらない。
変わったのは「何がわが国の国民的道義性を担っているのか」である。
内田樹のブログよりわたしは何のことかよく解らなかったのですが
やっと何を言っているのか解ったのです。
マツカーサーと幣原内閣と国会図書館Google検索
幣原首相・マッカーサー会談 1945年10月11日 | 日本国 ... - 国立国会図書館
(略)
問 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。しかしその日が来るまではどうする訳ですか。目下の処は差当り問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実を設けて侵略してきたらです。
答 その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。然しかも次の戦争は今までとは訳が違う。
僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。勿論軍隊を持たないと言っても警察は別である。警察のない社会は考えられない。殊に世界の一員として将来世界警察への分担責任は当然負わなければならない。しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論に依って裏付けされたものでなければならない。そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。若もし或る国が日本を侵略しようとする。そのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それに依って脅威を受ける第三国は黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するにこれからは世界的視野に立った外交の力に依って我国の安全を護るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ。
問 よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。尤もっとも草案は勧告という形で日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体を保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。
答 そのことは此処だけの話にして置いて貰もらわねばならないが、実はあの年の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つは密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。
幸いマッカーサーは天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚はらは決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは濠洲やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々のソ連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。
この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。
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