石橋文化センターの正面にあるブロンズ像「みどりのリズム」彫刻家 清水多嘉示作
同じ彫刻をまりと悠子の散歩で見た記憶がある。
そう、大阪城公園の森の中。
人の記憶には不思議な力がある。
わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。神の愛を記憶しているのです。
記憶の不思議さは
日本大学のアメフト事件と今の国会の公文書改竄事件に悔い改める者の顔がみえないのを不思議がらせる。
本来指導者の立場の責任者が責任を果たしていない日本の社会の姿がわたしたちの記憶に残されている。戦後ずっとなのだろう。戦争の責任を果たし公にしてこなかった記憶がよみがえる。
責任を果たすことは真実を公にすること、今回の加害者として名乗りでた日大のアメフト選手のように罪を悔い改めることです。
日大の責任者の責任の取り方と、総理の態度は同じように見えて来る。
気に入らない相手の記憶は無視し嘘をつき詭弁を弄して自己正当化するやり方、すなわち自らの力への過信。奢りの何者でもない。
誰も完全な人はいなく、誰も指導者としては完全でないため当然責任もとれない現実があります。それゆえ傲慢にも責任を部下に押し付けてはなりません。生け贄は罪の最たるものです。
生け贄をださない社会のために、
人間は完全でないから、不完全なままで正直に告白し、不完全さを弱さを現せるように、他者の赦しと助けが必要になります。犯した罪を悔い改め罪からの自由を必要とします。
三日間の滞在で互いを理解した和子姉と花帆ちゃんはすっかりうち解けました。
人は犯した罪以上のものです。だから犯した罪に閉じ込められ、罪から自由になれないのは人間から可能性を奪ってしまうことに他ならない。
赦しが、罪を悔い改める行為が、共同体・社会に、寛容と誠実さをもたらす行為になるのです。
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