師走に入るとイエスの御降誕を祝ってアドベントの催しが教会である。
毎月の聖餐式で神(イエス)が十字架のうえでご自身の肉と血で人々の罪の贖いを成就したということを教会で確認されているのに、わざわざ師走に御降誕をお祝いするのは人ととともに今も生きておられる神との交わりを再度確かにするためだと私には思える。
お暗きこの世にとく来りて主よ主よ御民を救わせ給え。
ダビデの末なる平和の君がくすしき御業を成し給えり。
師走はわたしたちに救いの御手を差し出された月として称賛に値します。
人の努力によらず御霊(父の知恵)が救いを成就したことに注目したいと思います。
それはだれをも誇らせないためです。
このことはたとえ人が無力さにあっても、なお私たちに希望があることを確信させてくれます。
わたしたちは神に望をおいているからです。
主は人々の暮らしのなかに生まれ、苦しみを背負い、血と肉を裂き十字架で人々の背きの罪のために刺し通され贖いを成就し(罪から開放されるための代価となり)死にて葬られよみに下られた方です。
神はこのイエスをよみがえらせました。わたしたちに聖霊をもっていまも生きてともにおられます。
わたしたちはこのナザレのイエスの姿に父なる神のすべての御顔を見ることが出来ます。
クリスマスはわたしたちとともにおられる救い主と親しく交わる記念です。
なぜなら『聖書は肉となりわたしたちの間に宿られ』、今もご自身の命を分け与えるためにコミニュケートしてくれているからです。
わたしの贖いを信じ
殺すものから本気で自分を解放して自由になり生かす御霊に信頼して隣り人(他者)と平和を共有する(創る)ようにと語りかけて来るのです。
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