2013年2月24日日曜日
主の日コイノニア会に出席する
母の食事のためにトイレで排便をして食卓に行く。
朝定食完食体温36.4℃水分牛乳200ccラコール200cc白湯200cc
わたしは母の朝食の介護を終え京都へ行く。
神殿税を納めるマタイ17章24~27節を講話。
主権の構成要因が印象的だった。
税金の徴収、宗教の決定、軍隊指揮、これらが17世紀イギリスの国家の主権を構成する闘争の歴史であり、その確立に国王の首がはねられ議会による国家支配が初めて成立した。
国家主権は私たちにとって
金(労働の利益)と思想・信条と軍(徴兵を通じて身体生命)を自由に操る根拠はどこにあるのかと言う問いでもある。
これらのことはイエスの時代も17世紀の混乱の時代もそして現在も変わらない問いである。
イエスが神殿税を納めるか否かと問われて本来神殿税は任意の税であったが
イスラエルの民は自発的に納めていた。
それゆえ同朋を躓かせないために魚の口から銀化をとりだすという奇跡を起こすのですが、
これはイエスの優しさであり、パウロにもみられるものです。
一方弟子たちにたずねています。
地上の王は税や貢ぎ物を誰からとりたてるのか、自分のこどもたちからかそれともほかの人々からか。
イエスには神の民は本来神殿税を納める必要はないという結論を導く問いだ。
彼は現在の私たちにも問うています。
税は誰が徴収し誰のために使うのか・・・。
軍隊は誰が召集して誰のために動かすのか・・。
教育は何を教えるのか誰のためなのか・・・。
マタイは魚の口から銀貨が出るということで終えています。
地上にあってそのようなイエスの問いを生きるためには、人の力の及ばないみ父の力が祈りが入用であると魚の奇跡は物語っているようです。
アバ父よ願わくばあなたのみ名を崇めさせ給え。
・・・・国と力と栄とは限りなくあなたのものだからです。
2013年2月19日火曜日
霙と雪のふる日のダニエル
朝ごはんの出てくるのをそわそわしながら待っています。
私たちの周りを順番に回っておこぼれを頂戴します。
後は散歩に連れてもらうだけ、ストーブの前で待っています。
私の散歩にゆく支度をダニエルがひたすら待っています。
霙雪の冷たい散歩になる。
然しダニエルは平気な顔で、雅子のおやつを待ちます。
今度は母の食事の終わるのを待っています。
お椀に残っているものを舌ねずりするために。
全てが終わると水を飲みフィニッシュ眠ります。
昼は
いい匂いに誘われてそわそわしだします。
雅子は食事の前に若い人のために祈ります。
霙と雪の降る日ですが、全てが時にかなって美しい日です。
四時をまわればダニエルは催促します。
はやく散歩へ連れて行ってほしいと顔が言っています。
2013年2月17日日曜日
主の日の一日
ダニエルのさんぽ以外で外へ出るのは魚屋さんと母の薬をもらいに行くことと主の日の貝塚聖書教会の礼拝と月末のコイノニア会に出席すること以外にないとは誰も信じられないだろう。
今は母の介護を優先する時。
私たちも一瞬のうちにイエスに変えられるのです。
食事が終わると、母は歯を磨きベッドへ。
私たちは夫婦は教会へ行く。
教会から帰って
私たちは祈ります。
わずかに残る母の命でさえ惜しみ主に祈る。
まして
若い命が危機に陥っている時、主よ御力を現してくださいと
祈らずおえません。
牡蠣飯とメバルの煮つけをいただくような日常生活で祈ります。
神に祈るのは、
私が清いからではなく。祈ることに値するからでもなく。
神はイエスのみ名に答え祈りに応じてくださる方だと知っているからです。
イエスのみ名によって祈りを聴きいれてくださる神に
ナザレの若者の十字架の贖いに義の全てを得た神に
祈りに値しないものが。
祈るのです。
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