雨の中をダニエルと散歩して、朝食をいただき
貝塚聖書教会へ礼拝に行く。
母はベツドでダニエルとお留守番。
牧師は「神の約束を疑わず」で説教されています。
人は
納得できないことは目をつぶる。
自分の場所を譲る。
こういう説教だったと思います。
それとアブラハムの信仰が義とされたことと説教と
何の関係がありましょう。
私は
思いを十字架に(公開の場)に現さなければ
復活にあたわる真実に席を譲る契機はないと思っています。
誰もがイエスの真実を賛美するために。
誰もの場が人生の意味をもつための場となるのです。
私たちの生きる場が真実のための証しとなるのです。
だからいつも目を覚ましていなさいと言うイエスの言葉が
響いて聞こえる。
自分の目で見て考え、他者に発言することは大切なことです。
決して自分の目を閉じてはいけません。
みことばに人は心から讃美することはあっても
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。(イザヤ42:3)
折られず消されることもなく、まことをもって公義が
実現するのを知っているからです。
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