癒されたと言っても、義とされたものと言われても
暮らしの中で他者とともに生きているのに変わりはない。
「私の目には,あなたは高価で尊い。」
これに尽きる。
わたしも、自分も他者も、このように高価で尊いと
イエス(神)に十字架の上に釘づけされている。
主イエスは、私たちの罪のために
死に渡され、私たちが義と認められるために、 よみがえられたからです。(ローマ4章25節)
神はキリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、
公にお示しになりました。
こうして神ご自身が義であり、
またイエスを信じる者を義とお認めになるためです。
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