鳥居さんからおいしい手作りのパンがポストに入っていました。毎朝いただいています。
泉佐野の古い友人からローズギフトの戴きもの下関のフグが今日届きました。感謝してお昼御飯にいただいています。
踊牧師からみ言葉メッセージを今日も戴きアーメンと神に感謝しました。
8日(水) エレミヤ書9章16-25節
一言メッセージ:今朝の箇所16-21節は累々と並ぶ南ユダの民の死の光景が擬人化されて描かれます。心痛む内容です。22-25節は後代の付加ですが、ここは非常にすごいことが記されます。22-23節「主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。むしろ、誇る者は、この事を誇るが良い、目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事、その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。」「誇る者は神を知ることを誇れ」と、25節終わりの言葉「心に割礼のないイスラエルの家を罰する」との言葉をあわせて考えてみましょう。これは当時のユダヤ人にとってとんでもない記述です。2つの言葉は「心に割礼(神さまへの誠実な生き方)があり、神を知ることを人生の誇りとして生きる者を神は喜ぶ」と示します。現代のクリスチャンの私たちには「そうだね」ですが、古代のユダヤ人にすれば、「ユダヤ民族だからこそ神は救ってくださる」という民族理解でしたから、「民族や律法の遵守が決定的でない」という記述は衝撃だったことでしょう。おそらく、著者自身にも葛藤があったのか、25節最後から2行目には割礼の必要も書き添えられています。でもここに新約聖書のパウロの「信仰義認」に繋がる、福音の広がりの発芽を感じます。神さまの御心は民族主義をも超えていく。それが民族主義の真只中で示されたのが今朝の箇所なのでした。
食事が終わるころ郵便屋さんが伯耆町の議会で決定した各家庭にガソリン券2万円の自治体内で有効のクーポン券が届きました。
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