花帆ちゃんはめぐみの園でつくったリースをこっそりツリーの下に隠してパパとママの驚く姿を見る『ビックリ作戦』を行って大成功していました。
諦観とは本質を明らかに見て取ること。悟りの境地にあって物事を見ること。
わたしはあなたと共に居る。わたしはあなたを見捨て孤児としないみ言葉に、神と人の言葉の先に決して諦めで終わらない隣人の存在のリアリティを感じました。
信頼に足りるものはもともと対象が信頼に足る本質をもっていて自分が信じようが、他の誰であれ、どなたの前にも変わらないものであるとすれは゛、人が諦めようが悟ろうが、真理は人によって変わらないはずである。
とすれば、人の真理への道へ到達する失敗は結局、単独者の悟りに重きをかけた失敗と同様に自分の判断の価値にこだわりたがっていることからこそ生じている。
判断の基準を自らの正しさにおいている誤りは、人の傲慢さから生まれている。
イエスがニコデモに言ったように人は新しく生れなければ神の国を見ることはない、新しく生れる判断の基準は意外にも人は創造の始めから神によって与えられている。
失敗を許されてやり直せることにある。孤独な単独な一人ではなく複数で支え助け合って生きている存在の自覚をとりもどした人々の間に生れるてくる、共同の真理という不思議。それぞれの主観の不確かさが赦され複数の間主観でとらえる真理へのアプローチ、神の叡智というキリストが生活の場に善き隣人としていることによる共同の共通真理CommonSense【民主主義】を信仰してみてはとアドベント第四に思う。
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