2018年7月29日日曜日

異常台風が去って夕日に向かって散歩する


ホサナ。祝福あれ。主のみ名によって来られる方に。イスラエルの王に。



するとイエスが彼らに言われた。「どうして人々は、キリストをダビデの子と言うのですか。

ダビデ自身が詩編の中でこう言っています。『主はわたしの主に言われた。「わたしが、あなたの敵をあなたの足台とする時まで、わたしの右の座に着いていなさい。」』

こういうわけで、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子でしょう。」




月一回のコイノニア会の集会が土曜日にあり、司会者が愛媛なので帰りの台風の影響を考慮して午後四時に終了する。




そこで昨日のイエスの言葉が気になった。
なぜ、わたしをダビデの子と呼ぶのか。
聖書をよく読んでみなさいと言われているようにも思える。



この場面はマタイ、マルコ、ルカの福音書に書かれていると私市さんは言う。
ヨハネの福音書は80年代、ルカやマルコ、マタイは60年から70年にはできていたので、
栄光を受けられたイエスのことを知っている聖書記者とわたしたちとその後のイスラエルの歴史がどうなったのか、主のみ言葉から考えることではわたしたちと変わらないと強調されたことが印象に残った。



ナザレのイエスは人々からメシアと呼ばれた。


メシアには油そそがれた者という伝統的な認識とは別のイザヤに書かれた受難の僕としての姿がある。こちらの方はイエスとともに過ごした弟子にもご自身が栄光をお受けになるまで積極的に明かされなかったように見える。



このことはわたしたちに聖書記者がそろって認識しているイエスの十字架の贖いの行為が父との約束であると信頼することが出来るか否かにかかっている。



現代人の約束への信頼をなくしてゆく世で  、再び約束が人々に信頼を回復させること。
約束とともに生きられることは永遠の命を生きるにふさわしい大切な信仰となるのです。


ホザナ、平和の主が



人々に平和を実現される。




ナザレのイエスのみ名を呼ぶ者に。



永遠の命を与えられる。  神の約束。




「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にした時、実現した。」

(ルカ4章21節)





「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、
永遠のいのちを持つ。」

約束の信頼を通して聖霊が生きて働いていることが実感できれば一人ひとりに父への信頼が自ずと湧いてくる。どんなに不都合な出来事に出あっても、神に愛されていること永遠の命に生きていることが生きてゆく自信となる。




あなたの豊かな憐れみによって、唇の罪をぬぐってください。
主よ わたしのくちびるを開いてください。
一人ひとりの唇に言葉が与えられる自由の御霊によって交流しやがて一つにまとめられた信頼が今度は一人ひとりの自由を擁護しそこに連なる者の救いとなって行く共同体を褒めたたえます。





主はわが光、
異常台風が去ってわたしは御言葉を口にしながら夕日の中を散歩しています。





















 

2018年7月26日木曜日

猛暑に打ち水をして涼をとる

日本列島は記録的な猛暑。41.1℃を越えた。
インドで経験した暑さほどには及ばないが、インド人のように日陰でのんびりと過ごすにかぎる。



ラッシー。きゅうり。冷えた水を飲んで、元気を取り戻そう。



嬉しいことに中国産マツタケが安く手に入る。
雅子は白烏賊の刺身とマッタケ御飯とお吸い物をつくってくれた。



悠子たちは花帆ちゃんを保育園に預けて頑張っています。
今日は保育園は遠足で熱中症が心配で花帆ちゃんは志水家にお願いしたとのこと。


日中はアブラゼミとミンミンゼミがなき。
ひぐらし蝉が午前四時半と午後六時に泣き出す森で、雅子と涼をとりながら過ごしています。



雅子は午後のテレビに夢中。











わたしはAmazonでソーラ噴水を金魚の酸素供給用に買ったが、
水連の池は太陽が時々しか差し込まないためソーラ発電が不調。
代わりにベランダの涼のためのまき水に使うことにした。




打ち水は気温が一℃ほど下がり目にも涼しい。




メイドインチヤイナ、鰻や松茸や噴水、近い隣人からの恵。



2018年7月23日月曜日

猛暑日続くメンテナンスの年金生活


悠子は本採用試験が迫る中、子育てとともに励んでいます。
八月十七日から真悟さんと大山に来る予定。



ロレックスを森時計店に修理をお願いしていたのが治った連絡があり、
眼鏡ルーム愛の鼈甲眼鏡の修理の引き取りもかねて大山の森をでる。




善き隣人。
イエスは誰があなたの善き隣人になりましたかと尋ねるシーンがありますが、


わたしは、眼鏡の修理や時計の修理に応じてくれる人にためらわずに答えるだろう。


現代において、良き隣人は、起こっている出来事に利害者に忖度なく
自由に自分の信条に忠実に言論をできる人、
出版放送新聞に雇われている雇人に自分の立場を越えて自由に発言することを期待しないが、せめて責任を果たす立場の経営者に、眼鏡ルーム愛や森時計店のように自分の仕事に誇りを持ってほしい。



経営者が消費者のニーズにこたえる隣人は、エリコの街道で追いはぎを駆逐する善き隣人です。



ロレックスのオーバーフォールが三万五千円。
この値段だけでこの店がどれほど善良な隣人かよく理解できる。




年金生活者の収入は二か月に一回振り込まれる年金額のみ。
イエスの頭上に捧げた300デナリの香水の金額。


一日一デナリ。日々メンテナンスでやりくりする隣人にこの店はイエスの示した。誰がこの人の隣人になりましたかの答え。



現在において、良き隣人はその共同体で示される。




帰りみち岡田商店の魚屋さんで鰻、岩牡蠣、白烏賊を買って帰って来る。
この店も善き隣人。
いのうえ豆腐や烏賊焼きさんと等しい信頼の店。


あなたも、行って同じことをしなさい。


クリスチャン一人ひとりに、善き隣人になれるよう、
主。自らの命を持って手助けしてくださっています。








讃美歌 236番 地の上にまことの (神の国)  




それぞれが、それぞれの立場で自由に一番やりたいことを最善を尽くし
神の栄光のために努力する。


美食家は美食のために。


葡萄酒を愛でる者は葡萄酒のために。


妻は夫のためにに、夫は妻のために。
 



孤独なものは孤独なもののために、


それぞれの時を主が解決を与えてくださるまで、


自分の時間を御霊に委ねて精一杯生きる。


やがて


時がいたり、それぞれの精一杯の生きた時間が他の人のための善きものに用いられる。


誰がこのものの隣人になりましたか。あなたも行って同じように行いなさい。