2018年3月3日土曜日

春が来た


悠子たちは、花帆ちゃんのベッドにお雛様を飾った。



暖かくなって公園で遊ぶ。




一緒に冬を越へたランも花をつけました。


アンスラパレルモ。いつまで続く、花を咲かすことを。


ダニエルとお雛様の季節に美しく咲く命を見るのは、嬉しい。


庭の雪はすっかり解けている。





私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。


それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。


兄弟よと呼びかけるあなたとは。


パウロがイエスによって知ったあなた。



私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。


ピレモンであり。自由の御霊です。


そうです。わたしたちの隣人との聖霊による交わりです。




人間が奴隷でなく、奴隷以上の者、すなわち愛する兄弟として、

強制されてではなく、自発的に、聖霊の交わりが地上で生きて働くためです。

人間の自由。聖霊との交わりを活動的生と表現した人もいたが一つの興味深い見方です。


 アーレントは強調している。そもそも人間は個々人が異なっているために同一な人間は存在せず、それにもかかわらず自己と他者は言語で共同して何かの行為を行う。


人が生まれるとは、自分とは絶対的に異なる他者と遭遇し、その他者と関係を結ぶことであり、他者たちのあいだに生きるとは、他者と出会い、第二、第三の誕生としての「始まり」を経験し続けることなのである。



 

聖霊は主なる霊であり、いつも『新しいこと』-福音書では、使徒たちの中に『新しい心』-を創られます。(教皇フランシスコ)

平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致、が人間の自由、多様性の中に創られますように。

 人間には「取り返しのつかなさを埋め合わせる赦し」と、「予測のつかなさを埋め合わせる約束」という能力がある。

 赦すのは愛の力である。約束だけが未来を保証する。一方は赦し、他方は約束をすることによって、世界ははじめて不確実な未来への道へと踏みだすことができる。


『聖霊を受けなさい。誰の罪であれ、あなた方が赦せば、その罪は赦される』




 

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