2011年11月9日水曜日

若葉に帰ることができるようになって二回目 感動したこと

ヨハネ14:6について悠子と議論する。






昨夜、悠子と「人はみずから神がなくても、それぞれに真実を見出すことができるか」
で議論した。
今朝、ヨハネの福音書7:38がわたしたちに現われ栄光を受けるにふさわしい神を賛美した。


イエスは立って大声でいわれた。悠子とお互いに大声で立っていわれた神を賛美した。





「わたしを信じる者は、聖書が言っているとうりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」


当然すぎて人格の自由性は聖霊だときづいていなかった。








悠子は言っていた、ひとは自由だから神を捜しもとめる人にしか神は解らない。

ほとんどの人は神を必要としていないで自分の作った(神)偶像に満足している。






信仰は親が死んでも悠子に遺産として残すことができる唯一なものと思っていた。
神への信仰が、久しぶりに帰ってきた悠子に息づいているのに驚いた。









『悠ちゃんにはキリストがついているから大丈夫』と慰めてくださった

ひとたちの言葉を素直に信じられなかったわたしを恥じ入る。








今日悠子とホライズンにいる父親を訪問した。




立命館や同志社を卒業した人たちが悠子の職場で働いているらしい。
わたしは、一流大学をでてしようもない職場で働くのはもったいないというと、

その子のお父さんが、反対するとばかり思っていたが反って自分で選んで一生懸命頑張っているのを応援してくれたのを知って父親を尊敬し同時に感謝していると言っていた。
そのあと、その子の親父さんもう死にそうやけどと言ったのには、悠子のユウモアのように響きわたしと親父と笑ってしまう。




彼は親父のもとに帰って親孝行しようかなあと心が揺れているらしい。




悠子たちの青春を感じてちょっと羨ましく、わかいころが懐かしくなった。






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