紫禁城に収蔵されていた千年にわたる王室が収集した精華は、民国二十年(1931)の満州事変後、日本軍が山海関に進軍したため、南遷準備を図り上海から南京へ移し、さらに民国二十六年(1937)盧溝橋事件が勃発すると故宮南京分院は行政院の命令を受け、四川省へ非難させた。
1945年八月に日本軍が降伏すると、全て南京に運びもどされたが、民国三十七年(1948)秋、国共内戦の形成が逆転し、中央政府は再びすぐれた文物を台湾へ移すことを決定し同年選りすぐりの逸品852箱を台湾へ運びだす。(国立故宮博物院目録より参照)
このように故宮博物院の収蔵物は歴史のなかを生き延びて今私と対面している。
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山河の精華 玉器
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玉琮
新石器時代 良渚文化晩期 紀元前約2500~2200
玉勾雲形佩
新石器時代 紅山文化晩期 紀元前約3500~3000
龍冠鳥形佩
殷後期 紀元前約1300~1046
玉角形杯
漢 紀元前2061~220
玉戈
殷後期~西周 紀元前約1300~771
双身動物面文璧
戦国晩期~前漢 紀元前約275~紀元後8
玉辟邪
後漢 25~220
法力によって邪悪なものを除けてくれることを願ってつくられたもの。
漢代に流行した辟邪は、ほとんどが翼をもつ獅子や虎に似た獣で、西アジアから伝わった造形であると思われる。
翠玉白菜
清後期 1840~1911
玉は中国で極めて貴重な素材である。量材就質と言う手法(素材本来の形や色合いに沿って玉器を設計)で作られた逸品。
青銅器
頌壷
西周晩期 紀元前877~771
嘉量
新莽 9~24
嘉量は中国の度量衡制度においてきわめて重要な地位を持つ。
嘉は美しいことを意味し、嘉量は素晴らしい度量器の意である。
磁器
邢窯牙白穿帯壷
唐 618~906
越窯青磁洗
五代 907~960
南哥窯青磁魚耳炉
宋~元 1127~1367
豆彩夔龍「天」字款蓋缶
明 成化 1465~1487
青花(染付)で装飾文様の輪郭を描いた後に色を埋める技法を豆彩と呼ぶ。
底部には青花で天の字が描かれており、天子の御用品であることを象徴している。
青花龍文天球瓶
明 永楽 1403~1424
器形がイスラム地域で使用される金銀器に類似しているため、この種の瓶形の登場は、鄭和の西洋遠征により活発になった文化芸術交流に関連しているとも見られている。
五彩鏤空香窯
清 康煕 1662~1722
磁胎画琺瑯藍料山水碗
清 雍正 1723~1735
珍玩 天工をも奪う巧み
掐絲琺瑯番蓮文盒
明 景泰 1450~1456