2017年9月29日金曜日

イエスさまの復活されたころの使信が届く



弥生時代(やよいじだい)は、日本列島における時代区分の一つであり、紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。




紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中ごろ
時を同じにして東西にさまざまな建国伝説がある。




片方はローマ、一方は古代出雲、西はローマより東は日本まで
人の往来と文化の交流の歴史があった。



当然、 十字架のイエスの出来事も東は日本へ西はローマからブリテンへ
伝えられた。



私市さんから本が届く。
主に感謝します。
私市さんを想起することができるようにと主が備えてくださった出来事、喜びを褒めたたえます。

 



地球の大きさを測ったことで知られるエラトステネス(紀元前276年-前194年)は、地球が球形であることを前提に地図を作っており、地図作成に測量を利用した。エラトステネスの地図そのものは伝わっていないが、ストラボン(紀元前63年頃-紀元23年頃)が著作に一部を引用しているため、およその様子が分かっている。
エラトステネスの時代には、アレクサンドロス3世(在位紀元前336年-前323年)の遠征記録が伝わっていたため、インド付近までの地理が詳しくなっている。ただし東南アジアの描写はない[7]。また、ヨーロッパについては、今日で言うグレートブリテン島などが描かれている。 また、地図には緯線に相当する線が描かれている。ただし、今日の世界地図とは異なり、経緯線の間隔は一定ではない[4]




イエス様が復活されたころの世界地図をみるとローマ帝国は地中海全域を支配し隣国がパルチア(『使徒行伝』2:9で新改訳聖書は「パルテヤ人」)、東へ順にクシャン朝、漢から三国時代。日本では倭の奴国王が後漢に朝貢、印綬を受けたという(後漢書東夷伝)。 魏志倭人伝にある卑弥呼の活躍した時代である。





その倭人の国でヨハネ福音書講和と注釈上下巻が出版されわたしの手元に届く。






2017年9月24日日曜日

古代伊都国


悠子のお友たちが志水家に訪ねてきて糸島に観光に出かけたとのこと。



塩の製造と博物館を探索する。




弥生時代の大陸伝来の文物や青銅器、玉作りなど、日本海を舞台に展開された古代出雲と伊都国との交流の歴史が山陰と九州にあったとのこと。


わたしたちも悠子たちと古代と同じだと実感する。


過去はそこに暮らす人によって引き継がれていると同時に、
未来はそこに暮らすものによって創造されてゆく。

未来と過去をともに今に生きる。





花帆ちゃんは私たちに与えられたみどりご。

 

2017年9月19日火曜日

花帆ちゃんの成長と夫婦の生活






花帆ちゃんとメルの散歩で出会う夕暮れ、









夕暮れの美しい主の祝福の散歩。








同じころの悠子。 






Epicure 2010



夫婦で戴く美味しい食事を主に感謝します。












季節の栗ご飯を戴く。
 

Chateau Roques Mauriac 2012












花付き紫蘇はまださんから戴いたもの。






2017年9月10日日曜日

一杯のお茶

 
肉の神学とは神の霊が肉体となったことをモデルとする神学、
すなわち理念や思想が社会的・政治的現実へと具体化されることを
規範とする神学だ。
 
また、ここで想定している受肉の神学とは「今・ここ」の状況に忠実である神学であり、

この神学に立つ共同体は自主独立的であり、あらゆる中央集権的な
政治機構から自由であると同時に、自らも中央集権的政治形態を
持たないということを意味している。
 
またこのような理解に立つならば受肉の神学とは、脱権威主義的で
あると同時に原理主義に対抗する神学、すなわち自らを絶対化せず

現実の変革に貢献し自らも変化を遂げる神学的姿勢であるといえるだろう。
 

 
そのように語る 香山洋人のブログ一杯のお茶が突然。閉鎖されている。寂しい限りだ。
 



悠子から毎日skypeで花帆ちやんの様子が届く、貝塚聖書聖書教会の牧師は夏休み
お母さんのお見舞いを兼ね帰省された様子をインターネットの礼拝で知る。





インターネツトは情報を瞬時に共有できること。
極東の緊張も平和を愛する人々は、隣人ともに共有してやがて言葉を持ち発話する。

わたしは、一杯のお茶の著者、極東の平和に言葉(御霊)を持った人、を記憶にとどめたい。




神学の課題はこうした新しい共同体の創出、人間性の回復、解放に奉仕することにある。
 
われわれは Via Media の精神がさまざまな状況の中で発展し深化する過程の只中に生きて
 
おり具体的に言えばわれわれはアジアの文脈において Via Media の精神に基づく新たな神
 
学の創出を自らの課題として引き受けたいのである。




 

キリストの教え、あるいは聖書の物語や価値観、キリスト者のライフスタイルが伝わり、
それが受容される経路は実に多用だと考えておく必要がある。
 
それは必ずしも教会や公的な制度 を媒介としないこともあるはずだ。
 
むしろ歴史の偶然や政治的策動、個人の情熱など様々な出来事が重なり合った事件として出現する「宣教」がある。
 
われわれがそれを「神の宣教」と呼ぶことをためらう必要はないはずだ。
 
 

「世界聖公会における宣教の五つの指標」とは、第一「神の国の喜ばしい知らせを宣言する」、
第二「新しい信者たちを教え、洗礼を授け、養育する」、
第三「愛の奉仕をも って人々の必要に応える」、
第四「社会の不正な構造を変革するよう努める」、
第五「被造物の本来の姿を保護するように努め、地球の命を支え新たにすること」である。

この中で教会によらなければ遂行不可能と思われる要素は第二番目の「新しい信者たちを教え、洗礼を授け、養育する」 だけだろう。

しかし厳密には新しく信者となろうとする人々は社会に生まれ、社会に生き、神と出会い、決断へと導かれるのであって、
教会はその中で役割の一翼を担うことはあってもすべてを独占しているわけではない。

そして洗礼によって教会に迎え入れられた人々の信仰的成長を促すのは常に教会であるとは限らない。




こうした「神の宣教」 の働きの中に教会は重要な責任を持って参加すべきだと注意を喚起するものと受け止め、
 
これらを教会のみの役割として排他的にとらえているわけではないはずだと理解したい。
 
 宣教とは何かという定義を幾たび繰り返してもそれ自体によって宣教が前進することはない。 しかし現時点で我々が確認しておくべきことは、われわれの視点はこの地上における神ご自身の 宣教であり、
 
もちろん教会はそのための働き手として真っ先に召されていることを自覚しつつも 決して他の働き手を排除するものではなく、むしろわれわれの同志となりうるすべての働きと連帯し、謙虚に学び、必要な自己変革を遂げながら歩んでいく必要があるという点である。





「宣教」と語る際の関心事の中心は福音であり、それが教会だけでなくあらゆる現実の中に現存しうるのだという点に注目したい。
その場合われわれが注目するのは「民衆」である。

なぜなら神ご自身による宣教の現場は常に民衆の現場であり、イエスは民衆の只中に到来した
神の国を告知されたのだという聖書の物語こそがわれわれの立脚点であるからだ。


 
 
もちろん教会組織による公的な宣教も常に民衆の物語との呼応の中で語られなければならない。
 
そしてわれわれは福音という言葉を、民衆の解放と無関係な内容として語ることはできないだろう。
 
われわれはキリスト教の歴史を「大航海史観」から解放し、福音のメッセージを教会自身の 一人語りとしてではなくアジアにおける「神の宣教」と「民衆史」の中に位置づけることで生まれる新たな物語としてのアジアの神学を待望しているのである。





われわれが依拠する救いの歴史は「滅び行く一アラム人」から始まり、神の業は「家作りの捨てた石」による新しい神殿の創建である





「弱く小さい」ことはキリストの福音においては祝福の基礎であるはずだ。



 
われわれの仕事は日本社会の民主化と市民性の成熟に仕えることであり、
 
われわれが民衆的共同体を再発見、あるいは再創造するために、
 
自らの内的充実に努力する必要があるにちがいない。
 
 





時代のように訪れる朝を待つ: 「日韓併合」101年、キリスト者たちの対話
https://books.google.co.jp/books?isbn=4400213153
       香山洋人 /ahk.a.la9.jp/





主の日、烏賊焼きのおじさんが新鮮な鰺を持ってきてくださる。
雅子は、お造りと焼き魚を昼のご飯にしてくれる。






 

わたしたちが、主の御霊にあって歩み続けるなら、わたしたちの生まれつきの人格に<対応して>霊的な人格が創り出され育成されていくのです。