貝塚聖書教会の牧師家族に可愛い二人の娘さんがいる。
栗原牧師も岸和田北聖書教会に京都から赴任のおり家族の紹介をよくしていた。
何れの牧師に限らず家族の、特に子供は手放しで可愛いものだ。
子供を見ていると自分に家族が与えられた幸せを神さまの祝福を実感する。
栗原牧師が手放しで家族の与えられた幸せをブログに載せているのでわたしはその幸せは
他の人の幸せと共有するものであるのかと嫌味にも問うたことがある。
教会はその責任上、主の祝福は特に牧師の仕事柄自分の幸せを客観視して、
不幸と同様幸せも他者にとっての幸せになりうるかどうかと、どの場所でもどの
人とも共有できるものであるかと問うてもらいたいという風なことを書いたと思う。
手放しに喜ぶ、あるいは自分の子供は他者と違っているのではないかという心配、
それらは牧師でなくとも世間一般に感じる親としての思い。
神は伴侶を与え家族を形成することを喜び、そしてまた地域社会や共同体国を形成することを
喜び、そして罪を裁かれる。この家族形成国家形成の神が喜ばれるものの中で何が罪となるのかも
また自分に与えられた家族の中で探ってゆかなくてはならない。
それは主の御心を毎主日に説教する牧師の仕事であり、クリスチャン一人一人、
家族を形成するものが主の真実を知る日々の営みでもある。
21日衆議院解散され12月14日衆議院の選挙投票日となる。
日本の家族を形成する牧師にも、信徒にもその家族の明日を導く指導者を
選ぶ選挙になる。実のところ明日を導かれるのは主の御心であるとクリスチャンたちは
実感として日常生活で実感しているのならば、その実感を言葉で明日を導かれる主の御心を
証ししてほしい、生活の場と同様選挙の場でも。政治の場でも。
ひとは昨日生きてきたように今日を生き明日を生きる。
今日の生き方に主が訪れれば昨日までの生き方に疑問を持ち明日の生き方を
今日の生き方では生きられなくなる思いを持つ。
この選挙に日本の一人一人の選挙の有権者がその一人一人の決定権行使を
愛の全能の神の御前に静まって祈りをささげていただきたい。
この国に何を望み守ろうとするのか、この国の人々をどのように愛するのか、
この国に大人たちがこどもたちにどんな希望を託して残そうとするのか。
Chateau Thieuley Reserve Francis Courselle 2002
2002年の時の熟成はまことによい味わいを与えてくれる。
一方為替の経過は2002年は120円台であった。(現在の対ドル117円82銭)
日本の大手銀行が毀損していった1998年は140円台であった。
日本の財政と経済の実態が日本の通貨の価値として円ドル相場に如実に現れているが、
国債は未だ暴落にはならずまた物価がハイパーインフレを呼び起こさないのは負債を補う資産が国民には隠されて見えない形で担保として供されていることを語っている。いずれ時が来れば明白になる。
おりしもクリスマスのおり。
グロリア・イン・エクセルシス・デオ/平和は神のみ心が天にあるように、
地の上に御心にかなう人々にあるようにと天使たちが大きな声を張り上げて
賛美しています。
日本の国に
アドベントの期間の衆議院選挙があめなる正義と公正と愛(虐げられた者を開放される)を信じる人たちへのクリスマスプレゼントとなりますように。
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