2011年1月13日木曜日

自由=人格の自立=判断の任意・恣意性=他者との共有



正月にも悠子は帰ってこなかった。親と過ごすことよりも、自分の自由を求めている。
追求の果てに時が過ぎてしまった残酷さに気づく時がある。浦島太郎のように。



十一日、家に帰る約束を雅子としていたが、夜になっても帰ってこない。
悠子の自由を優先している態度に、私の自由が怒りだす。


私の誕生日におくると言っていたワインが今日悠子から宅急便で届く









15日からインドへ行く予定。
イスラム教の人々から見てインドにある教派をヒンズーと言ったそうだが、仏教もバラモンも梵天もシヴァもヴィシュヌもイスラム教から見ればヒンズー教である。

現在インドでは80%以上がヒンズー教でイスラム教は12%である。
なんと仏教発生地であるにもかかわらず仏教はインドではみられない。私の感であるがヒンズーに集合されているような気がする。



正月花も鼻についてきた頃、悠子からワインが届く。
自由と人格と他者とのあんばいを学んでほしい。全てが移ろいゆく時の残酷に遭遇する前に。










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