2022年3月1日火曜日

私たちは確実に自分たちの守るべきものが何であるかを知っている

 見よ兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。 詩編113篇1節

コロナウイルスを経験したわたしたちは『明日も変わらなくある平穏な生活がどれほどいいものか』知っている。

家族とお雛様のまえで食事して過ごす平和な暮らしの幸せ。



それがロシアのウクライナ進攻で世界はコロナウイルスのように一変した。


ウクライナの人はロシアについて「ストーカーのようだ」と言っていた。

キエフ時代のルーシーに思いを寄せていつまでも付きまとう。今はそれぞれ大人になり「人々は平等に創造され、創造主によっていくつかの譲渡不能の権利、すなわち生命、自由、幸福追求の権利を付与されていることを自明の真理と」して人生を歩んでいる。



他者を尊重するとは、わたしの目にはあなたは高価で尊いと神の御目に見えているようにそれぞれが見えること。

お互い神の御前の平等を自覚することである。


プーチン大統領はウクライナをストーカーしている。高価で尊い隣人とは見えていない。

主権国家ウクライナを武力でわが物にしょうとロシアの高慢がウクライナの人々の自由を涼略している。

ウクライナの幼子のことばが胸に刺さる 「死にたくない」 が 世界の人々によって共有され侵されようとする共同体の命が死から守られますように。

ウォロディミル・ゼレンスキーウクライナ大統領は「ウクライナ市民は究極の代償を払いながら、自由のために戦っています。皆さんが、私たちと共にあることを示してほしい。私たちを見放さないことを示してほしい。・・・・・そうすれば命は死をのり越え光は闇を克服します。ウクライナに栄光あれ。」世界の人々の希望と共にある共同体ウクライナを証ししていた。

主よウクライナの自由を守りたまえ、主が守られるのでなければ守る者の見張りはむなしいからです。


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