あるフランス人記者の記録1932年の大日本帝国 アンドレ・ヴィオリス
榎本武揚とも松前で出会った。
この人達は明治維新を知っている、政権から追われた人々であった。(武力)能力と刀とは親和性のある時代の人々であった。
腹切り武士道と昭和のファシズムに将校と新選組の親和性すなわち日本人の自尊心、己惚れの破滅への道を感じたからかもしれない。
たとえ戦争を前にしても侮辱受けたり戦いを挑まれたりしたら、たとえ負けると解っていても受けて立つ新選組局長の日本人の自尊心。
「瓦となりて残るより玉となりつつ砕けよや」
自尊心の強いわりに他者と協力する戦略的思考力が欠如して
社会の個人でなく非社会の自己的で刹那的である。
隣人と共同して社会(平和の暮らし)を創ってゆこうとする
日本人の自尊と同等に世界中の他者を尊重する共同の信仰の目(政治)が啓かれていない。
なかんづくいつまでも続く命に無自覚である。
三山一輝が神戸でヴィオリスと別れ際「このまま日本は戦争という無謀な恐ろしい冒険に引きずりこまれる可能性があり、失敗したら日本全体が腹切りしなければならなくなるではありませんか」と言われた言葉に「辱められてつまらぬ生き方をするよりは死んだほうがましだ。わたしは骨の髄まで、いわば本能的に天皇陛下に繋がっている。」と語っている。
国際連盟の脱退時の日本の市民も彼と同じ「欧米が日本を理解しょうとはせず、日本を見捨てて軽蔑している以上、欧米ぬきで事をすすめる」相手の意見に反駁すら試みることのない(奢り高ぶる)問答無用の信条だったのを知る。
当時の日本人の自尊心の強さすなわち己惚れの強さは聖書が指摘する罪以外何ものでもない。地上からわたしたちが滅び去らなかったのはなにゆえか深く知る必要がある。
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