2021年5月16日日曜日

会津若松鶴ヶ城


 

















わたしは群馬にいるコイノニアの石田さんに連絡をとった。

今晩宇都宮に行くので明日会えないか尋ねたらコロナが怖いので旅行者と合いたくないとのこと。



白虎隊で有名な1868年戊辰戦争(会津戦争)の現場わたしはWikipedia若松城の記事で下記の項目に興味を持つ。

1872年(明治5年)5月に、パリ外国宣教会マロン神父(Jean-Marie Marin)とスイス人で横浜居留地で生糸輸出商を営み、デンマーク領事も兼ねていたエドゥアール・ド・バヴィエ(Eduard de Bavier)らが、養蚕視察のため函館から横浜まで旅行をし、若松城に立ち寄った。

『函館から横浜までの旅』という題名で1874年明治7年)にリヨンで教会の雑誌に掲載され[注釈 1]、H・チースリク(独: Hubert Cieslik、1914年-1998年)による日本語の部分訳は1968年昭和43年)に『宣教師の見た明治の頃(函館より江戸へ)』として上梓されている[8]

野口英世記念館を訪れたとき猪苗代町(会津若松から24㎞)に彼は生まれ青年の頃その地で受洗していることに驚いた。



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