2019年7月2日火曜日

庭の草を刈る



くるめウスといって久留米にある無料の小さな水族館、




魚さんがみたいというので連れていきました。




七月にはいり、京都の和子姉のところに雅子はおでかけ。
銀行協会の仲間と同窓会を三日に大阪で、四日に大山に帰る。
五日はマウントビューで誕生会。



Sancerre Michel Thomas&Fils 2016



わたしは庭の草刈をする。



大山に来て丸四年が経つ。


花帆ちゃんも魚に興味があるようで、なかなか可愛い。


私が玄関に出ると挨拶に来る。





 
 



 
れいわ新選組が新しい候補者を紹介していた。
木村英子さん、わたしは彼女が立候補するのを見て一段と政治が民主化されてゆくように感じた。



人は目で見て現実を知る。介護を受けながら車いすのうえから記者会見する姿に、
パウロが思い描いていた価値観が崩れ落ちてゆくのを証しされていたように、



ナザレのイエスを見て、イスラエルの御国のイメージを変えたように、
日本の人々も政治のイメージを脳性まひで重度障害者の木村英子氏によって変えさせられるだろう。


「戦うコンビニ店長」として知られた元セブンイレブンオーナーだった三井義文氏も紹介された。
 

大工の息子が、働く店長が救い主であるなんて、
同じ言葉が聞こえて来るようです。



れいわ新選組の立候補した人々はイエスのように日常で生活する人々である。
他者と共感してともに生きる生活を取り戻したいとその身を世にさらした。



すでにこの社会は「政策をどうこうしてなんとかなる段階」を超えている。
「今まで私たちが知っている政治じゃない」人がこの世に生き続けられるこそが必要だ。

 安冨氏は、「経済」という言葉を「暮らし」に変えなければならないと語った。

 「東京タワー建てて、新幹線走らせて、オリンピックやって、大阪万博やったから経済成長したので、スカイツリー建てて、リニアモーターカーひいて、東京オリンピックやって、大阪万博やったらもういっぺん経済成長すると思ってんじゃないかと思いますけど、雨乞いです、こんなの。私たちはその雨乞いのために何十兆円も使ってるんですね。狂気です、こんなの。

  私たちの社会の立て付け、法律とかイデオロギーとか思考とか価値観すべて、私たちが、経済と呼んでるものに応じて出来上がっているので、それが続かないと死ぬと思っているけど、それはただの勘違いです。

私たちは勇気をもって、自分たちの暮らしを立て子どもを守り、育てるってことをどうやったら実現できるかを考えないといけないし、それには助け合いが必要です。

お金では解決できない。だから人と人との関係をとり結ぶ手段が必要なんです。

でも、私たちはそういう能力を失ってきた。

なぜなら、そういう能力を持つ人間は資本制生産システムにとっては不便なんです。友だちのこと考えて会社に来ないような奴はダメなんですね。だから友達が一人もいなくてお金が頼りの人間がいなくては、私たちの経済は持たない。私たちは友だちを作る力、助け合いをする力を失ってしまったので暮らしは成り立たなくなり、お金を稼がなくては死んでしまうと思うようになったわけです。


  それを改める以外に、繁栄の中の貧困という意味のわからない世界から抜け出すことはないと思います」



 

「上等です。障害者を利用して、障害者施策を進めようじゃないか」
 障害者運動の有名なスローガンに、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」というものがある。が、700人以上いる国会に、車椅子の人はいないし彼女のような重度の障害がある人はいない。障害者がいない場所で、障害者施策が決められているということの異常さ。そう、私たちはこれを異常と思わなければならないのだ。




生活の当事者のいない政治は政治ではない。
やもめ、みなしご、障碍者、
貧困世帯が豊かに安心して生活できる政治を目指す、成熟した政治が息きづきだそうとしている。




最後の候補者はインタビューに語った。
シングルマザー、派遣労働者という非正規で働く者。いずれも日本の貧困層の「代表」です。

懸命に働いても暮らしが安定しないワーキングプアです。男女の著しい賃金格差、正規・非正規の従業員の待遇・賃金格差が貧困の最たる要因なのです。

ところが、その貧困の要因をシングルマザー、非正規労働者の「自己責任」だとする傾向が強く、若者は自分の行く末に希望を見出せずにいます。こんな悲しいことってあるでしょうか。

     働く私たちに、必死に毎日を生きる私たちに、「自己責任だ」として政策の怠慢や無作為行為を容認してしまう政治を私はなんとしても変えたいと思います。「生きてきて良かった」と思える日本をつくりたいです。





マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

ひとりのみどりごがわたしたちのために生れる。

 主権はその肩にあり
 

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