2018年6月30日土曜日

ワールドカップロシアの日本代表に思うこと


六月の梅雨の中、悠子は再就職するため、花帆ちゃんの保育所の入所準備に勤しんでいます。自転車とヘルメットを買った。


ロレックスが急に動かなくなり、勝田町の森時計店に修理をお願いした。
ベンツも時計と同じ14年、ダニエルと同い年。



年金暮らしは暮らしを維持するために日常のランニングコストの最適化を考えなくてはいけない。

日本代表のグループトーナメントの最終戦で西野監督は「引いて戦うことはない。」と始まる前に公表していたが、日本選手の試合運びの悪さとコロンビアとセネガルの試合の得失点差を考慮して一次リーグ突破のために、事前の言葉を裏切り、行為を義とする信条からも観客からもさげすまれようがなりふり構わない勝利の条件の最適化を選択した。
わたしたちと同じ。



 最近の日本社会の現実がここにある。理想や夢より目先の現実に勝利すること。
言葉など所詮言葉、厳しい現実の前に言葉は裏切られる。





孫たちの現実からあこがれる思い・理想が失われる時、日本の暮らしから公約した言葉(信条)が裏切られる時、ほんとうは日本から何が失われたのか、
トーナメントに進んだ日本代表のロシアでの演技、パフォーマンス、戦い、が終わった時にその一端が公衆の前に顕われお互い失ったものを見ることになるだろう。



日本代表に浴びせられたブーイングに感謝します。なぜなら
いつの時代でも人は他者とその演技を共有し、パフォーマンスに軽蔑と称賛が与えられるのは、互いに共通世界を生きている共通の感覚を持ち合わせていることにあります。


子どもたちは
神の御目には人々の共通感覚、希望となる。

たといわたしたちは目先の現実に失望しても、主が呼ばれる残りの者はそこにいる。




 

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