一か月ぶりに雅子と新緑とお花の森を散歩する。
藤の花も芽吹きだしてくる季節、八重の桜は満開です。
遅咲きの山桜が美しい。
大成池公園は春の行進。
終戦後も天皇観が揺らいでいたが、今も揺らいでいるように思う。
天皇退位も政治的意図のもとだと考えている人々がいる。
なぜこの時期に天皇が退位するのか歴史の偶然にしては日本の戦後の憲法のあり方を問う勢力があちこちに現れ憲法論議を盛り上げていることと符合するように思えて来るのです。
然し、当然起こるべきして起こることです。日本国憲法の性格から自由な言論は妨げられなく何が正解かは国民が手続きを踏んで決定してゆくことになっているのですから。
明治の帝国憲法を希求する人々の情熱にも勝る新憲法に情熱を注ぐ国民もいてもおかしくない。
わたしはクーデターや暴力等、不正な手続きで憲法が改悪され戦争が起こされることはあってはならないと思っているのです。
然し安倍政権をみているとどうも胡散臭い政権である匂いが漂っているのでつまみやかにその実態が明らかにされ、日本の国から過去にも繰り返されて来た暴力と不正を取り除かれることを期待している。
ようやくここにきて財務省の公文書改竄(憲法違反)に焦点が当たってきました。
鴨池氏は当時日本会議大阪の代表でわたしはどうも安倍政権は、神社本庁(じんじゃほんちょう)今は民間で旧帝国憲法時代は、大戦後、GHQにより「神道指令」が出さるまで、国家神道の権力の一役を担っていた、そのような旧国家権力に親和性を持っているのではないかと思えて来る。
神社本庁は、神道系の宗教団体として日本で最大。約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟している。都道府県ごとに神社庁を持つ。内務省の外局であった神祇院の後継的存在であり、宗教法人法に基づく包括宗教法人である。
12月15日には、「神道指令」を日本政府に命じて神祇官を廃止し、国家から宗教的要素を完全に分離させることを目的とするため、12月28日に「宗教団体法」が廃止されるとともに、「宗教法人令」が公布され即日施行される。
1946年(昭和21年)1月23日、神道指令に伴い、大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会の3団体が中心となり、神社本庁を設立した。
森友学園は、その思想を(教育勅語)教育する安倍首相にとって初めの教育実現であったのだと思う。
明恵夫人を名誉校長に据えるぐらいだから。鴨池氏の信条すなわち日本会議の信条と親和性がある。
民主主義は個人の意見の総意に依っているゆえに、あなたはどう思うかという意見に基づいて政治がなされている。
国民主権とは一人ひとりの意見にもとづいていることの別の言い方である。
わたしは日本の政治に民主主義が機能しているのかという問に、日本は民主主議が機能していると自信をもっていうことができる。
なぜなら日本国憲法が政治に現実に機能していると即断できるから。
もし足りないものがあるとすれば、あなたはどのように思いますかと問われて自分の意見を答えられないところに問題があるのです。
なぜ安倍首相が憲法を改正したいのか、憲法の条文が為政者の権力を縛っているからです。
憲法9条の戦争放棄を改正するとたちまち集団的自衛権どころか憲法の縛りから解き放たれて軍隊を自由に動かせることを知っているからです。
憲法9条は軍隊を常時違憲状態において国民と政権が緊張状態で対峙して戦争することから監視する役割を荷ってくれているのです。
何故平和憲法ではいけないのか、戦争より平和を望んではいけないのか、
わたしには理解できない。
国を滅ぼした明治憲法よりはるかに耐久性のある平和憲法である日本国憲法が歴史において証明されている。
焼け野原に立った国民一人ひとりは戦争を放棄し平和な暮らしをどれほど希求したことか。
新憲法になってお巡りさんや役人が偉そばらなくなって。気持ちよく暮らせるようになった。
結婚が両性の合意によって出来るようになった。
国民に行政は説明責任を果たすのが当然となる。
公文書が公開される。
主権は天皇ただひとりだけではなく、国民一人ひとりにある。
身分としてではなく個人がただ個人として法の前で平等に尊重される。
わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 み言葉が一人ひとりの上に恵みとなって成就する。
新憲法になっていいことばかり、なぜ憲法を改正しなければいけないのかその理由は解らない。
アメリカに押し付けられ、プライドが許さないという意見もある。
今でもアメリカに政治で頭があがらずコンプレックスをいだいた鬱憤を晴らすためとするならば、まずアメリカ軍の日本領土からの撤退を要求することから始められては如何かと思う。
日米地位協定を見直すことから議論してみては如何だろう。
アメリカ軍の撤退が可能だろうか。
日本の国防をどうするのか。
隣国とどうやって付き合ってゆくのか。
戦争を回避し平和国家のままでいかに命と暮らしを永らえようとするのか。
国家財政をどのようにして維持してゆくのか。
世代に受け継がせるものすなわち教育をどのようにするのか。
憲法は二行を残し一行を追加するような些細なものではなく国民の自由をどのようにならしめ支えていくのかが明記されている。
国民の自由が一群の陰謀(クーデター)によって奪われてはならない。