2017年8月30日水曜日

八月も終わりのころ



コイノニアの夏期集会に参加して京都駅で本家西尾八つ橋を買って日交高速バスで大山に帰って来る。早速ご近所にお土産を配り終えると、悠子から「志水家からぶどうとそうめん送ってくれてるって!」メールが入る。
花帆ちゃんはすでに口いっぱいにほうばつています。




人生のすべてをかけてコイノニア会を運営して来られた私市氏に司会者の聖さをコイノニア会は自ら決定することはイエスの聖さには相いれない、コイノニア会の【限界】と発言したわたしに、アリゾナに帰る前にわざわざ大山まで訪ねてくれた石田さんが、老いと病に抗して「ヨハネ福音書講和と注釈」(上巻と下巻)に全気力を注がれて完成された今、コイノニアの来夏期集会には講和はできないかもしれない予感を表明しておられる先生に、(二十歳の大学生のころから八十六歳の現在までイエスキリストを特に東回りのキリスト教を証しされている先生に)、なんの実績もないあなたが限界という言葉を語るのは傲慢ではないか、倒すためではなく起き上がることができるように言葉を選ぶようにとアドバイスしてくれました。石田さんの優しさです。

人は他者の愛の行為に出会い真実を得ます。自分の愛のなさに気付かされます。




流石私市さんOngoing Commitment、ここでは自由に意見を述べてくださって結構です。
なにを言ってもここに出席されている皆さんはそれぞれ弁えていますから。




傲慢の意見をそれぞれが弁えることで、発言者の自由は保たれる。

地上の生活は希少性に呪われているのではなく、豊かさに祝福されている。

兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くなく、
権力者も多くはなく、身分の高いものも多くはありません。  (希少性)

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強いものをはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。          (複数性)





「複数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間 man ではなく、複数の人間 men であるという事実に対応している」(Arendt 1959: 7=2001: 20)


だれでもキリストのうちにあるなら古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなる。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。


 キリストのうちキリストのからだ共同体を形成する地上の一人ひとりの祈り。複数の人間menの祈りの先には神の御国/創造があります。

Our Father in heaven,
hallowed be your name,
your kingdom come,
your will be done,
on earth as in heaven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins
as we forgive those who sin against us.
Save us from the time of trial
and deliver us from evil.
For the kingdom, the power, and the glory are yours
now and for ever. Amen.

私市氏によると 新約聖書は、全世界に広がる御国の建国物語です。神の御国とは、わたしもそう思うのですが、共同体を形成する一人ひとりの活動すなわち、祈りの先、に、神ご自身が働かれて、わたしたち人間を新たに創造し、わたしたちの世界を再創造することであり、これは建国の叙事物語です。
主の祈りの結びに来る「御国と御力と御栄光は、とこしえに汝のものなればなり」は、
この建国の祈りを的確に言い表わしています。



 
 

2017年8月18日金曜日

雅子の眼鏡を買いにゆく



メルと悠子の誕生日にいちごアイスケーキを贈る。


悠子たちは花帆ちゃんを連れてご近所の図書館にゆく。









わたしたちは、毎日、悠子たちからの便りを楽しみにしている。





大山の森にいても、skypeで映像を見ながら会話できるので
花帆ちゃんの成長が手に取るように解る。






雅子は手術後、視力が戻ってきてコンタクトレンズで生活することを嫌い。
眼鏡で生活を希望している。






それで、風呂上がり


雅子の眼鏡を買いに大山の森から出かけることになる。



























いろいろ掛けて




さて診断書をだしてレンズを選ぶ段になり、


相当厚いレンズになるのを知って驚く。












 

2017年8月9日水曜日

「ノーモア ヒバクシャ」

イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」わたしが父にお願いできないとでも思うのか。





わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。



大山の森で長崎平和記念式典のニュースを聞く

 


「ノーモア ヒバクシャ」



この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。


 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。


 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。


 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。


 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。


 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。


 日本政府に訴えます。


 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関(かか)わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。


 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。


 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。


 あの日、原爆の凄(すさ)まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原(やけのはら)となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然(ぼうぜん)と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨(むざん)に狂わせたのです。






8月6日広島の惨状 吉村吉助氏絵 広島市のホームページを写す






 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。


 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。


 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。


 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。


 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。


 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。


 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。


 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。


 2017年(平成29年)8月9日




 

わたしたちも、平和を創る者に一杯の水、(賛同を表明)を差し出したいと思います。
 



 隣人とともにわたしたちは平和を築いてゆく、新しく創造するものに成りたいと思います。剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。

 国は国に向かって剣を上げず、 もはや武器による戦を学ばない。

破壊は創造ではありません。平和は平和を愛する人々によって創造されます。
暴力は贖 いに足らず、贖いはイエスによるのです。暴力に頼ることを正してゆかなければなりません。




      
絶えず暴力/偶像に頼ることから自由になるために、隣人との関係を修復しつづける忍耐と赦しが必要になります。互いの正義を見つめ直し平和を約束することが必要になってきます。
シャローム。人が人と出会う時の挨拶、互いの生活の平安を神に祈ることを 通して正義すなわち神の平和が実現することを願う。






神は、そのひとり子を賜うほどに世を愛された。
時代を良くも悪くもするのも、わたしたちは互いに暮らす世へ愛を持ち続けることができるか否かに、隣人を自分のように愛することができるか否かの人間の精神に平和がかかっているのです。






 

2017年8月5日土曜日

悠子から大山に暮らすわたしたちに便りが届く


メル、カットした。



 



花帆ちゃん六か月。










金魚が死んでしまって。水連が花を咲かせます。





すべては空。空の空。
空の下、地上に生きる人間に、死や空に勝利する希望として何があるのか。

わたしたちにひとりのみどりごが生れる、ひとりのみどりごが与えらる。  












ハンナ・アーレントによると
それぞれの人間が生まれてくる度毎に,この最初の始まりは追認される。


なぜなら,人間が生まれる度に,何か新しいものが、各人の死後にも存続するこのすでに存在している世界にもたらされるからである。




人間はそれぞれが一つの始まりであるので、自ら始めることができる。
人間であることと自由であることとは,同じことである。




神は、世界に自由という「 世界への愛(amor mun di )」を創始する能力を導入せんがために、人間を創造されたのである。




新しいひとが誕生するたびに死は勝利にのみ込まれる。
クリスマスオラトリオが人の誕生を賛美しています天でもみ使いたちに喜びがあふれる。と「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、(イエスによると再び生れる第二の誕生) 神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」




蝉が










静かにささやくような声で暮らしの中に聞こえてきます。