訪問入浴をエルケア岸和田入浴センターに依頼する。
栄子と浩治が訪ねてくるが、
母の介護の援助をする気がない。
二人ともまさか自分たちの母はいつまでも会いに来れば会える/生きているとは勘違いしていないと思うが、二人の態度から母は介護力によって生き永らえているという認識がないのが解る。
母をひとつも介護しょうとしない。全てお任せ。
わたしがもう食事の介護を断念しなければならない時を迎えているのに、わたしのしていることを『ようできるなぁ』という言葉に、母の看取りについて実際母を介護する者との意識のずれを感じる。
母が今もいるのは少なくとも食事を得ているから。
その食事に対して本人もまた二人の弟と妹も、関心のないのが
わたしの、何とも言えない
やるせない感情。
雅子は少し距離を置いて介護を助けてくれます。
わたしたちにとって、
一番の幸せは
ワインと食事。
ワインとともに食事をいただける日々に感謝しています。
ボルドーワインを切らすことなく日々の食事に与えられることを、
祈ってほしいと直樹さんにいうと、彼は本当は祈りたくなかっただろうに
(キリストの信仰からそれを祈ることは彼の心に抵抗するのを容易に想像できた。)わたしの願いがかなうことを祈ってくれました。
今から思うと有り難いことです。
人を赦すということは、(多くの場合ひとはだれも自分と見解を同じくしない)
直樹さんのような祈りのできる人の行為と言葉にあるのだろう。
祈ってくださっている人々の祈りに助けられ励まされて、
兄弟とも父とも、争いにある他者と和解をしなくてはならない。
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