2014年2月21日金曜日

ソチオリンピックの中を眠る



浅田真央のフリーの美しさに感動する。




ショートスケートのミスが悔やまれる。




ロシアの選手の演技に魅入った聴衆のどよめきの中


登場する浅田選手の心理を思うときいろいろな要素が複雑に絡み合っている  





最終熱狂した人々の関心の前に日々鍛錬した自分に立ち帰るしかない。





本人が思うように体が動かなかったというように






こころは燃えていても体が弱いそのように人は





衆目のもとにさらされ自分を披露する。



 
その栄光と同時に責任もただ一人負っている。
 


演技(公開)を恐れ身が動かない心境も解るが、衆目に委ねて演技する以外にないのだ。






わたしたちの日々の人生(自己暴露・開示)も





ソチオリンピックの




浅田真央でもあるのだと思った。









 

2014年2月16日日曜日

神は、世 を愛された。



神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世愛された。聖書




おとなとこどもの関係一般や、さらにより一般的で正確な用語でいえば新生の事実・・・われわれのだれもが生まれることによってこの世界に入り込み、また誕生を通じて世界は絶えず新しくなるという事実・・・、



われわれが世界を愛して世界への責任を引き受けるかどうか、さらに更新なしには、つまり新しく若いものが到来せぬかぎり、破滅を運命づけられている世界を救うかどうか決まる分岐点である。 ハンナアーレント 教育の危機



父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。エペソ6:4




教育はまた、われわれが自らのこどもを愛し、かれらをわれわれの世界から追放してかれらの好き放題にさせたりせずに、あるいは何か新しいもの、われわれが予見しえないものを企てるチャンスをかれらの手から奪うことなく、むしろ、共通世界を新しくする使命への準備を前もってかれらにさせるかどうかを決める分岐点でもある。ハンナアーレント 教育の危機


 
 
 
 
 
 
 
 
 

2014年2月12日水曜日

便りを喜ぶ



聖書は愛の便り。








Chateau Lour de Mirambeau  Bordeaux 2010
シャトートゥールドミランボーキュヴェパッシヨン



ワインのおいしさは一口味わうと解る愛と同じ経験。





母の弟妹から愛が届きました。



もうすでに功枝ちゃんから戴いたお菓子を雅子とデザートにいただく。





母の生きていることを喜ぶ人たちのいる便りが嬉しい。






 

2014年2月9日日曜日

ホセア



わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかったものを愛する者と呼ぶ。




『あなたがたは、わたしの民ではない。』と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる。




あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。
























イスラエルの民ゴメルはホセアの誠実(愛)を無駄にしました。




わたしたちも愛する者の忍耐を深く理解しなければなりません。




神はわたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちの不真実の只中に誠実を残しました。





ホセアのように「執り成し」には人格にある自由と愛が要ります。
イエス・キリストのみ霊によって、執り成しの愛に生きること、これが聖霊の注がれた者の証しです。










 

2014年2月6日木曜日

元気にしています



和歌山日赤病院を退院して丸二年経った。





母の弟妹に駿河屋の羊羹を贈った。




元気で何よりです。




いつまで生きる曼珠沙華咲きだした 
山頭火

早速電話をいただき介護の甲斐が報われて嬉しい。




父親も生きている。




夫婦だけで生活ができない。














両親が元気にいることはこのうえない喜び。











せめて父から便りでも。






伝えられたら嬉しいだろうと思うが言葉がない。







自分にしてもらいたいように人にしなさい。と言うイエスがわたしに迫ってくる。

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。(マタイ 7-12)
わたしから父に連絡をとればいいのだがエパタ(開け)こころをみことばに閉したままになっている。