2012年12月2日日曜日

イエスの恵みは赦しと約束を成就したこと





母は主に生かされて目覚めることができました。
わたしはイエスには約束したことを成就する力があるのを知っています。






だから母の末期は心配していません。
実のところ最後の時の訪れを期待しているのに気づいています。
ただ、食事の時にいつも祈っていることがあります。

『永遠の命をわたしにみさせてください』





主イエスは私たちに与えると約束されたものがあります。
永遠の命と聖霊です。
わたしはイエスには約束されたことは必ず成就する力があると
信じています。




この時節は貝塚聖書教会はクリスマスデコレーションされて華やかです。

ダビテの祈りに 「幸いなことよ。そのそむきを赦され、
罪をおおわれた人は」 幸いについて証しています。




パウロは非難されていることがあります。罪を簡単に許されることで
反って罪を犯すことを助長するのではないのかと。
ダビデのような極悪人の罪を赦すことはバテシバの夫の正義に叶うこと
ではないからです。




このことが大事でイエスの贖いの故に神さまに、罪赦されるのと同時に。
罪についてダビデのように私は、自分の罪をあなたに知らせ、
私の咎を隠しませんでした。というように罪に支配されない(公開性)が
大事であるように思います。
人の前にも罪は明らかにされ、ひともその罪をイエス故に許さないと
いけない、このような構造になっているように私には思えるのです。




私たちはしてしまったことをしなかったことには出来ません。
後悔先に立たずです。他者に赦してもらうしかないのです。




赦しあうことは神の贖いによって成り立っているのです。
イエスはこのアドベントに地の上に平和を私たちに託されているのを
ひしひしと感じます。






 

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