ことしも暮れる火吹竹ふく
2010年12月31日金曜日
2010年12月28日火曜日
2010年の年の暮
貝塚聖書教会の池尻牧師が突然クリスマスイブ礼拝に馳せ参じることができなくなり
牧師の説教で言っていた 、(彼は礼拝に出席することを信徒に求めていた)
神を礼拝することとはどういうことなのか?
聖さとはなになのか深く知りたいくなった。
エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。
その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
この方はわたしとも、あなたとも一部ある部分は成りえる。
聖さに生きることと礼拝することは同じ。
その(礼拝)日常生活では
イエスは死んで三日目に復活したと隣人に語る者もいる日常生活だ。
そのような各人の思いがことばとなり、現れ自由に他者に語り、
あるものは信じ受け入れる日常生活関係(聖)をわたしはとりわけ愛する。
2010年12月25日土曜日
クリスマスイブ礼拝
親しいひとからメールで生々流転という言葉が印象的だった。
全ては移ろいゆくのでその時その時を感謝して精一杯に味わいつつ、悲観的に成らずまた喜びに浸りすぎずに何事も流転するので唯々毎日を平然と生きてゆくという友人の心のあり様を感じた。
彼は少し前までは、卒啄同時という言葉を座右の銘にしていたのを覚えている。
雛の生まれる時の不思議のように人は己の精一杯の歩みの内に他者の助けを待つという心境であるが、その時農業で生きてゆくと決めて夫婦で人生を歩んでいた時であった。
わたしは自己中心と他者からの援助を欲し求めるもの。
そのようなものが、聖書にある
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」が
民主主義において実現した。
2010年12月23日木曜日
クリスマスプレゼント
鍛冶・松田宅で第19回クリスマス(祝会)プリティーコンサートが開催され、わたしたち夫婦とわたしの父親も招待される。
クリスマスにワインが届く
悠子からe-メールが届く
ルカ2・8~11
さて、この土地に、羊飼いたちが、荒野で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
すると主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
クリスマスプレゼント
神が辱めを受け打ち傷を負い人が祝福される。
このあまりにも驚くべきナンセンスがプレゼントされた。
わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さをむなしくする。
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
神の御前でだれをも誇らせないためです。
キリストは私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、購いとになられました。
2010年12月17日金曜日
わたしの誕生日に悲劇
わたしの誕生日にとても悲しい事件。
日本でばかばかしい何故と思える事件が起こります。
無辜な人をきづ付けることは、傷付けられる人も付ける人も、ともに不幸な社会。
許してはいけないし許されない。
無辜な人を傷付ける罪人の衝動をわたしや隣人に理解できるように言葉で語ってほしい。
語って他者から、言葉(反論)を得て考えて行動してほしい。
日本でばかばかしい何故と思える事件が起こります。
無辜な人をきづ付けることは、傷付けられる人も付ける人も、ともに不幸な社会。
許してはいけないし許されない。
無辜な人を傷付ける罪人の衝動をわたしや隣人に理解できるように言葉で語ってほしい。
語って他者から、言葉(反論)を得て考えて行動してほしい。
人にはこのことが、一番難しいことなのだが己を他者に託すことが一番大切 。
未だ他者に自分を預けないことが罪の原因です。
素直に他者に自分を評価してもらいましょう。
地球の上であなたにことばを寄こすもの、関心を示すものがいるとすればクリスマスの様だ。
ここに愛があるのです。
愛の中で、あなたは真実にめぐり合うことができる。
あなたに言葉をおくる愛ある者の言葉を理解し、あなたの真実を知ってほしい。
若者も倦み、疲れ、勇士もつまづき倒れようが主(他者との関わり)に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。