ロシアの入国ビザをとるため豊中にあるロシア領事館を訪れた。
なんと入国を希望するものを拒んでいるのか、
入口が閉鎖されその前に ガードマンが立っている。
私のベンツを駐車する場所を確かめると、門の前に
止めてくれとのことで、 これには気分をよくするが
近所迷惑で駐車場に案内しないのが不自然な思いがする。
門の前で先ほどのガードマンがセキュリティーのため、
パスポートで顔照合をする。
中に入ると、貴族趣味な庭と玄関があるが閉まっていて、
よこのウサギ小屋の入口のような狭い部屋が開いていて、
そこで訪問客と応対している。
帰りたくなる。
この辺がどうも好きになれない。
おもてなしに貧相なお国に思える。
領事館の夫人と思われるひとが、挨拶もしなく私を見つめている。
なんという雰囲気なのだろう。
アメリカのあの陽気なほほ笑みをロシアでは期待できない。
と言っても私がアメリカを訪問したのが30年前であるから、
9・11の後は、
なんと入国を希望するものを拒んでいるのか、
入口が閉鎖されその前に ガードマンが立っている。
私のベンツを駐車する場所を確かめると、門の前に
止めてくれとのことで、 これには気分をよくするが
近所迷惑で駐車場に案内しないのが不自然な思いがする。
門の前で先ほどのガードマンがセキュリティーのため、
パスポートで顔照合をする。
中に入ると、貴族趣味な庭と玄関があるが閉まっていて、
よこのウサギ小屋の入口のような狭い部屋が開いていて、
そこで訪問客と応対している。
帰りたくなる。
この辺がどうも好きになれない。
おもてなしに貧相なお国に思える。
領事館の夫人と思われるひとが、挨拶もしなく私を見つめている。
なんという雰囲気なのだろう。
アメリカのあの陽気なほほ笑みをロシアでは期待できない。
と言っても私がアメリカを訪問したのが30年前であるから、
9・11の後は、
フレンドリィーな明るさも変わってしまったかもしれないが。
肝心の入国ビザはとれなかった。
領事館員は私の説明を丁寧に聞いていたが、
結局は駄目。
支払い済みの領収書を見せると私と家内のパスポートをもって
領収書を発行した旅行会社に電話をするために
部屋に引き込んでしまい10分ほどして内容を旅行会社へ
説明したので よく聞いて対応してほしいと言いだす始末。
私に説明すべきものであるだろうと、言うと。
直接私に言ってもいいが、時間がかかるし話す内容が多く込み入っているとのこと。
いずれにしても、ロシアのサンクトペテルブルグに停泊している2日間にエルミタージュ美術館を家内と二人で訪問したい。
私に説明すべきものであるだろうと、言うと。
直接私に言ってもいいが、時間がかかるし話す内容が多く込み入っているとのこと。
いずれにしても、ロシアのサンクトペテルブルグに停泊している2日間にエルミタージュ美術館を家内と二人で訪問したい。
トランジットビザでもいいから発給してほしいと求めたが、
私の場合トランジットにはあたらなく観光ビザが必要で観光ビザの場合ロシア領事館が受け付けられる形式の書類が入用であるが、今回その書類がないとのこと。
彼は必要なドキュメントがないと頻りに言っていた。
セレブリティークルーズの乗船確認書も私のルーム番号さえとれているのに、往復のオランダ航空の航空券のEチケットを見せても、(要するにロシアのバウチャウにあたる旅行の代金の支払い済みを全て持参しても)、領事館が必要とするドキュメントがないので受け付けられないとのこの一点張である。
セレブリティークルーズの乗船確認書も私のルーム番号さえとれているのに、往復のオランダ航空の航空券のEチケットを見せても、(要するにロシアのバウチャウにあたる旅行の代金の支払い済みを全て持参しても)、領事館が必要とするドキュメントがないので受け付けられないとのこの一点張である。
これ以上は進展しない。
領事館員は丁寧な人だったので握手して旅行会社と相談するために領事館から退出する。
大阪府警も以前は窮屈な場所であったが、ロシア領事館へ行く前に国際運転免許の取得のため立ち寄った光明池の発行手続きがスムーズで改善されているのがよくわかった。
さて、肝心の領事館が求めるドキュメントというのは、家に帰り旅行会社の人と電話で確認して分かった。
それはロシア国内旅行(滞在)においてロシア外務省が認証した手配業者が外国人観光客の旅行滞在計画を引受けているという確認書を領事館へ提出する書類のことであるとのこと。
要するに、ロシア政府が認証した旅行手配会社が外国のお客の旅行のすべてを把握しその準備を整えていることを証明する手配会社の責任者の報告書のことである。
いまだにロシアを旅する旅行者の旅行のための自由な行為が認められていないのがよくわかった。
旅行者はロシアに入国した場合入国開始したという報告をその手配会社が入国後初めて泊まるホテルで手続きしなければならないように決められているようだ、これで移動の監視制限を担保するようになっている。
不自由な国であることが、大阪領事館という小さなロシア旅行で発見することができた。
ロシア政府の認可制度はいまだ社会主義の負の遺産が続いていることになる。
わたしの旅行の不自由を敷衍して思考すると、ロシア人の生活が監視制度の中にいるように見えてくるのだが。
アンドロポフからゴルバチョフまでのあの時の自由へのうねりは今のロシアには見られないのだろうか。
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