2009年12月31日木曜日

あたえられた歳の暮


わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
















主はあたえ 主はとられる。
主のなさることはすべて時にかなって美しい。
お互い年があらたまると年金夫婦。
(不整脈、禄内障、葉状腫瘍)老齢疾患にも患っている。
患ってやっと、いたわりあうことを学んだ。
静かに、 静かに、 ふけてゆく
2009年の歳の瀬です。
 
                                                                                                                                                                                                                                         
  
                                                                    

2009年12月30日水曜日

きれいに納まりました。


JCB定年退職の挨拶で調査部の人々からいただいた、花束







お正月花もうつくしく入りました。

2009年11月24日火曜日

冬のまえ



別荘は深く秋をたくわえていました。
静かに、静かに、わたしたちのために秋をとどめていてくれました。










まりはここで静かにねむっています。
















禄内障と診断される。
眼圧が高いのが原因。
不整脈と同じく、交感神経の異常が原因。
もうすぐ定年になれば、症状は改善する予感がする。

2009年11月14日土曜日

あとの日






あとの日私たちは無職で年金暮らし。
2010年5月9日より
オランダ、ドイツ、ベルギー中欧ヨールッパを巡りアムステルダムから
コンステレーション号に乗船
北欧をクルーズして6月9日アムステルダムへ
6月11日大阪へ帰阪予定 。























































このクルーズを境に、 花も 乗馬 も辞め
年金生活の真髄を極め夫婦の人生を探ります。

2009年10月31日土曜日

ドブログニク港から見えてきたもの





























紀元前ギリシャ植民都市、ローマ帝国 デオクレチアヌスは故郷のスプリトに

自身の霊廟をつくる。

4世紀ゴート族、アラン人侵入

7世紀スラブ人定住

10世紀クロワチア王国、11世紀ベネチア共和国、16世紀ハプスブルク家支配、

ナポレオン、オーストリアハンガリー帝国、イタリア 、ユーゴスラビア、

とそれぞれの時代を通過して、クロアチアとして1991年独立。


クロロアチアはスラブ人の国


スラブ人も7から8世紀この地に移ってきた


























2009年10月26日月曜日

ミラノ

























ミラノ大聖堂


イタリアのゴシック建築を代表する最高傑作、
1386年ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命により建設がはじまる。
着工から完成までおよそ500年の歳月を費やす。
ナポレオンも援助した。


ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世のガッレリア








ミラノ

ケルト人がメディオラヌム(平原の中心地)とよんでいた場所。

395年ローマ帝国はコンスタンチノポリスを首都とする東ローマ帝国と

ミラノを首都とする西ローマ帝国に分裂。

11世紀にはロンバルディアで最強の都市となる。



























ベニス到着後、下船ミラノ観光へ















































































ドブロブニク寄港  クロアチア旧市街観光



















旧市街地は城壁で囲まれた小さな町。
オスマントルコ、フンゾク、ゴート族らの侵入を知っている城壁。
ベネチア共和国、オーストリア、ハンガリー帝国らの支配を受ける。
ユーゴスラビアをへてクロアチアとして独立。

















クロアチア旧市街観光まえの終日クルーズ