2026年4月17日金曜日

明日の聖書と祈りの会の準備

 聖書箇所 創世記1章1節~3節 ローマ4章 ガラテア4章



白澤さんから戴いた酒粕で粕汁と赤鰈のお昼ご飯。



結論 御言葉によってわたしたちは新しい時代をヤーハ(創造)する自由の相続人。



ローマ4章16節 世界の相続人になるというみ言葉の意味。
具体的には、カナンの地(創世記)の約束を背景にして、最終的には「神の国の相続」を指す。

ここでの「世界の相続人」とは、単に土地を所有するという意味ではなく、「神の祝福のすべてを受け継ぐ者」という意味です。

アブラハムが神から「世界(すべての民族)の父となる」という約束をいただいたのは、彼が律法を守ったからではなく、神には約束されたことを成就する力があることを固く信じたからで、それが彼の義とみなされたのです。

もし「 正しい行い(律法) 」が条件なら、誰も完璧にはなれないため、相続人にはなれません。しかし「 恵み 」に基づいているので、アブラハムと同じように信じるすべての人 (ユダヤ人も異邦人も) が、神の財産を受け継ぐ相続人(子ども)になれるのです。

ガラテア4章24節 一つはシナイ山からでており
パウロはここでアブラハムの二人の妻(ハガルとサラ)を比喩(たとえ)として使っています。
シナイ山からでたものとは、モーゼを通じて与えられた立法の契約を指します。

女奴隷であったハガルから生まれた子は、当時の社会では「奴隷」として生まれます。
それと同じように、シナイ山で結ばれた立法に縛られる人は、罪や罰の恐怖に縛られた「奴隷の状態」にあると、説明します。
これに対して、もう一方(自由な女サラ)から出たものは、約束に基づいた「自由な子ども」を象徴しています。





ここで面白い聖句を考えていただきたいと思っています。
ガラテア4章の26節~27節です。
特に「喜べ子を産まない不妊の女よや夫に捨てられた女の産む子どもは」の聖句




イザヤ書54章の引用です。

バビロン捕囚という絶望的な状況(不妊の女)から、神の憐れみによってイスラエルが
劇的に回復し、子孫が増え広がるという希望と永遠の愛(平和の契約)を約束する章です。




次の日はエンドウ豆ご飯と粕汁


わたしは絶望的な状況から神の憐れみによって希望と永遠の愛すなわち自由が生れるヤーハするというこの福音は創世記の1章1節から変らずわたしたちに啓示されています。


ハガルが絶望的な状態でイシュマエルの死を受け入れたときにも神の憐れみによって
希望と永遠の愛すなわち自由が生れるヤーハするということが創世記21章にあります。


パウロの約束から生まれたイサクの子孫にも、奴隷から(肉の身)から生まれたイシュマエルにも神の希望と永遠の愛すなわち自由が生れるヤーハすることはわたしには興味深い感動が与えられます。


イエスのみ言葉にある天の父は分け隔てのない慈愛の公平さを確信させてくれます。


天の父は悪人にも善人にも太陽をのぼらせ正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださいます。



鳥居さんからは焼き立てのパンを戴きました。早速朝食に。





大山の森は一雨一雨新緑が増してゆく。

2026年4月12日日曜日

主の日の二つの教会とのメッセージと創世記一章一節から三節の聖書から祈り考える

 


土曜日聖書と祈り会でエペソ5章を33節を重点に聖霊によって語り合った。
先週の記念会でKさんのご家族のお孫さんからお菓子を戴きそれを感謝してみんなで戴く。
来年の記念会にはお孫さんのために何かいいものをもってお交わりしたいと願っています。



そして今日の主の日、久留米キリスト教会のルカによる福音書24章13-35節とガラテア人への手紙から



メッセージの復活が創世記一章一節から三節の聖句を含めて、わたしたちの創造主である神のみ言葉がどのような導びをされるのか祈って思考した。


Burle Est-Ce Que  ? 2024



神の言葉は闇(死)から希望(命)を創造ヤーハ(Jah)する。
創世記1:1-3  : 神が光あれというみ言葉によって天地を創造した

ルカ24 ; 復活したイエスが聖書を解き明かすことで、弟子たちの心を再創造し、真理を悟らせた。

ガラテア :  福音の真理(言葉)によって、罪と律法のもとにある人間が神のこどもとして新しく作り変えられる(新しく創造される)。





善き隣人白澤さんが(大山Gビールと純米酒八郷の造り酒屋)久米桜酒造の酒粕を持って訪れる。土曜日誘われていたが聖書と祈り会があるので残念していた。




光(希望/愛/自由)と闇(絶望/死/隷従)の関係 
創世記1:3  : 闇の中に光がもたらされた。

ルカ24  : 悲しみと失望(闇)の中にいた弟子たちに、復活のキリスト(光)が現れ、希望がもたらされた。

ガラテア :  律法という奴隷の立場から(闇)から、キリストによる自由の光の中に招き入れられる。




神の計画(聖書)の終末は完成
創世記1 : 創造の業の始まり

ルカ24 :  イエスがモーセと預言者から始めて、自身について聖書全体を解き明かし、歴史の成就を示した。

ガラテア: アブラハム契約から約束されていた救いの計画がキリストによって完成されたことが告げている。

ハガルの子イシャマエルについては人間の肉からと神の約束による誕生との差異が残酷なほど明白にされているが、イシュマエルに対しても神は法外な配慮をされているのを見逃してはならない。 この事柄については「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」ことの神の完全さを聖句によってパウロ以上に現在生きる私たちが祈り考察する必要があるように思われる。(神の慈しみと普遍性に目を開かされる。)






闇(盲目)からの解放 (目が開かれる)
創世記1 :  闇 (何も見えない状態) から光へ

ルカ24 : 弟子たちはイエスだと分からなかったが、食事の時に 「目が開け」主だと認識した。

ガラテア :  律法に盲目的に従っていた(霊的盲目)状態から、キリストの十字架に真理へ目が開かれる。




神のみ言葉が闇や混乱、死に介入し、光と命、新しい秩序をヤーハされる
全てに共通してみられるのは興味深い驚きです。





神のみ言葉は、歴史の初め(創世記)から、主の日の復活(ルカ24)、そして再臨に向けての歩み(ガラテア、今生きる私たち)において、人の歴史(今を生きる人の判断)に介入し、新しい秩序をもたらします。

それは今日、再臨を待つ地上のすべての人にこの神の御業が現れるためです。

考え違いしてはいけません、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神の御業が、彼の上に現れるためです。」


イシュマエルへの「神の普遍的な慈しみ」と、パウロが説く「キリストヘの信仰による真理」の両面を抱えながら、再臨の時まで、祈りつつ歩むものとされています。




2026年4月9日木曜日

大山の森に新しい季節が到来

 



観音竹もそろそろ












ショパン ピアノ曲 ノクターン第20番

































ヘンデル ラルゴ オンブラ・マイ・フ



































まもなく観音竹を金魚の池に戻す時のようです。






何事にも時がある。
第2テモテ3章「終わりの時に備えて、」

二つの聖句を、組み合わせて考えると、「困難な時代(時)だからこそ、

何事にも時がある。
創世記1章2節の混沌から3節の神のみ言葉によって秩序が創られてゆくように、


どのような混沌とした時代であっても、神の支配する時の中で、今こそ平和を求め、誠実に行動する時であるという認識。


第2テモテ3章が警告するような、
混沌とする現在は終わりの時の特徴を示している。
人々が自分勝手になり、金銭を愛し、神の愛よりも快楽を好むような、厳しい時代が来ると警告しています。

パウロは、それでも時がある人が、時を支配される神に信頼して今という時を精一杯大切に生きよとコへレトとともに勧めています。
こうした時代だからこそ神を愛し人をあなたのように愛し、「聖書」に立ち続け実を結び味わうように。




混沌とした時代だからこそ、わたしたちも

地上にある人々の暮らす場で(公共の場である公的言論機会と国際機関でもあらゆる共生の場で)勇気と知恵をもって




ナザレのイエスの霊(世への愛と真実)をすなわち見たこと聞いたことの是と否とを互いにはっきりと公に語ろうではありませんか。

戦争を終わらせ秩序ある世界の平和と暮らしのために。