栗をもらったのでホックの地元境港の魚料理と栗ご飯を二日にわたりいただく。秋の長雨と肌寒さの中で、温かい食事が引き立つ時期
ホックの鯖と茄の味噌煮。
栗の甘味がほくほくとしたご飯から溢れ出し幸せを感じます。
茄とかつぶしとイワシと生姜の美味しさは極上。
ゼカリア書12章7節 「主は最初にユダの天幕を救う」
それは、ダビデの家の栄と、エルサレムの住民の栄とが、ユダ以上に大きくならないためである。
聖書のゼカリア書12章7節に登場する「ユダの天幕(幕屋)」という言葉は、預言の文脈において非常に重要な意味を持っています。
ここでいう「ユダの天幕」とは、主に「防衛力が弱く、社会的・軍事的に弱い立場にある、エルサレム郊外の民(一般の民/戦いの前線で生活している人々即ち市囲の人々一 無名戦士のこと」を意味します。
この表現が持つ具体的な意味と、なぜ「最初に(勝利する)」救われるのかについてウクライナの人々の自由への戦いを思い浮かべながら聖書によって考えると。ウクライナの戦いでも、世界が「数日で陥落する」と予想した中で、最前線の人々が驚異的な(回復力・抵抗力)を示したことが、国全体の士気を高め、世界中の支援を動かす起点となりました。
1. 守りの弱い「前戦/地方の一般庶民」が支える民主的力の象徴
聖書が示す「最初に救われる」とは、最も苦しんだ者が最初に報われ、その小さき者たちの勝利が、国全体ウクライナ(エルサレム)を救う鍵になるという(神の救い)神の業が現れるのです。
名もなき「天幕の民」が最初に勝利(神の救い)を得ることは、「歴史を動かすのは権力者の謀略ではなく、自由と尊厳を守ろうとする普通の民の祈りと抵抗である」という、真実が時空を超えて伝える強い聖書のメッセージと重なります。
メシア(救い主)の到来への預言的意味
聖書において「天幕」は、プーチンのいる華美な宮殿とは対照的な「謙遜」や「旅の途中」を意味します。のちにイエス・キリストが来られた際、王宮ではなく貧しい家系に生まれ、社会的に弱い立場の人々(罪人や病人、地方の民)から先に福音を述べ伝えたこととも深く結びついています。弱き者が最初に救われ、神の前ではすべての人が平等に謙遜にならなければならないという救済の秩序を表しています。現実的に平和は権力者が与えるものではなく日々人々が生活を営み隣人とコミニュケーションをし日常をよりよく耕し平和に暮せるように怠らず遂行するその行為の中に神の救いである勝利が現れるのです。
日常の中の神の国: 真の平和と神の救いの勝利は、壮大な政治劇の中ではなく、私たち一人ひとりが日々生活を営み、隣人を愛し、傷ついた関係を修復し、対話を重ねるという「日常を誠実に耕す行為」の中にこそ豊かに実を結びます。
ゼカリア書12章は、この後に「彼らは、自分たちが突き刺した者(メシアの預言)を見る」という有名な箇所へ続きます。
イエスがニコデモに(民衆の勝利について)語った言葉は誠に印象的です。
最前線の人々の心に吹き荒れた自由への意志(レジリエンス)神の聖霊を崇めなさい。
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