2024年9月30日月曜日

大山の森の主日礼拝

 コイノニア会の主日礼拝を大山の森でおこなった。ルカ23章をそれぞれに聖霊により語り合った。そして第二部主は思い掛けない談話会をわたしたちに現わしてくださった。



悠子から花帆ちゃん達は毎日公園で遊んでいますと写真が届く。


コイノニア会の礼拝後二部の談話会で核戦争が迫っている発言。


わたしはロシアのプーチン大統領は他国の領土を武力で奪うウクライナ侵攻(戦争)によってロシアは古い政治体制を如実に世界に現したと思っている。(過去の日本のように植民地政策を執った帝国主義時代の国家権力すなわち権威主義国家の末路がまもなくみられるだろう。)


同じようにイスラエルも、自国の国家の創設を行うために、中東に古くから住んでいるひとびとと平和に暮らすことを求めるのではなく暴力で追い出してその目的を達成しようとしている。ロシアと同じ自国の領土の拡張を他国の侵攻で奪うやり方は、国際社会において許されないのは論を俟たない。


その奢れる者たちの行為をいさめる国際機関が機能を果たせなくなっていることである。


核廃絶の思想は誰もが認めるところだが、はたしてその採択も国際社会は奢れるものにその廃絶を迫る手段を持ち合わせていない。
理想と現実は天と地のようにわかれたまま悲惨な出来事だけが日々起こっている。


ウクライナでもガザでも日常に暮らしている者(戦争のことなど術を持たない)ものがむごたらしく殺されている。この日常に暮らしているものが国際社会に発言力を持つことが一番望まれているのだ。


戦争を起こす奢れるものは、究極は自分の滅びに慄いて核を利用するのが核戦争である。この場合被害は全世界に及ぶ。自分の滅亡を逃れるのに他の者の命の尊重など知ったことではない行為(呪い)が核戦争と言える。イエスのように(その対を)為す行いが(祝福)である。

※マサダの誓いこれは律法の呪い。
民族滅亡の悲劇を二度と繰り返さないことを誓う。イスラエルの人々が再びその滅亡が迫って来ると核を使い心底なりふりかまわず抵抗するだろう。

プーチンには一抹のためらいがみられるが、彼には祖国への伝統的な郷愁が(大地に暮らす他者との在りし日の思いでの連帯に、核の使用をためわせている)。然しイスラエルは同朋の善き隣人の赦しと愛に連帯することなく、未だ神の御前に項の堅いことを改めることなく旧約聖書の神のみこころに反している、キリストの言葉の通りあなたの隣人をあなた自身のように愛することなく武器を執る者(神のみことばではなく人間自らの力を崇める行為『偶像礼拝』)は武器によって滅ぶみ言葉の正しさを再び証明することになるだろう。

申命記30章1~20節呪いと祝福を参考にしてください。


0 件のコメント:

コメントを投稿