2024年7月30日火曜日

花帆ちゃんは夏休みに入って合宿に出かける大山の森に夏の味わいが届く




大山の森に青い空と白い雲と濃い緑の訪れ、夏の味わいが届く。


インターネットwherebyでコイノニア集会(ルカ22章を聖霊によって)語り合っていたら志水家の畑で出来た葡萄が届く。


語り合った内容を書き留めておこう。
この22章以後人々の思いは特にイエスに(神に)期待していた人々は次々と期待がへし折られることになる。すなわちイエスご自身捉えられ十字架に架けられることになる。
イスカリオテユダの裏切りは神の国を(ユダヤのローマからの解放を)望むものが病気や悩みをすなわち個人の患いごとを変えられても集団が負う人々の政治的現実を変える力をもたないイエス(神)への絶望だったのかもしれない。



イエスご自身はじめから語っておられる。
「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
神の国を期待して人々の理想の暮しの実現を、望むものは、新しく生れる必要があると、わたしはここにイエスがシモンシモンと呼びかけられた過ぎ越しの祭り「自由への旅たち」の折の主の晩餐のイエスの願い(神の真実)を語っているように思えるのです。


シモン、シモン、見よサタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。

あたらしく生まれる者とはイエスに祈られて兄弟(他人)を力づけ(助け)られる人の姿。イエスの御こころをわが身に宿す(聖霊を宿す)個人が新しく世に生まれる姿ともいえる。



神は生まれながらの王や見た目に秀でた英雄や権力者や独裁者を神の国を実現する者として御建てにならない。
他者に祈られて神の国の到来を望むことにたちなおり隣人を助けられる者こそ必要とされている。
成熟した民主的社会において(隣人イエスに祈られた)聖霊を宿す個人が他者の必要に関わり市民的共同性に(目覚める祈り祈られる)関係に生きるものたちこそ神の国の主体にふさわしいものであると言っているようだ。これこそが民主主義。ニコデモがイエスから教わったもの。





鳥居さんから手作りの焼きたてのパンを戴きました。









安息日は人のために(定められたので)あり、人が安息日のためにあるのではない。
安息日と神の国についてわたしたちは考察するヒントとなるこのみことばは、
安息すなわち平和な暮らしを人々のものとする(日)神の国の到来は、安息日の主でもあるイエスのシモンへのみことばに現わされている。わたしはあなたのために祈った。
信仰(Faith)<あなたのわたし(隣人)への信頼する自信>がなくならないようにと。
イエスの約束のみことばに目を向けることを促されている。わたしたちのいのちのある限りある時間ばかりに目を向けるのではなく復活の主の時間である神のいのちの永続性に地上に生きるシモンであるわたしたちに神のことば(祈り)が響いて語りかけてくる。


おおらかに繋がる神の時間てき感覚  ←クリックするとメッセージを聞くことが出来ます  
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ガンバリウスから仕込出来立てのDaisenGbeerMilkShake IPAが届きました。



乳糖とバニラビーンズのクリーミーなトロピカルなIPA。
ほのかなバニラの香り、糖の甘さとホップの苦味を味わえるビール。


ルカ22章コイノニア集会から神の祈り。


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