2024年2月4日日曜日

主日礼拝

花帆ちゃんは忙しく練習があり。お父さんも残している午前中の仕事があるらしく出かけてゆきました。わたしたちはメルをのこして久留米キリスト教会の礼拝に出かけました


既にホームページにはメッセージが準備されていた。
マルコによる福音書6章45~52節 神への祈りと人への伴い




懐かしいめぐみの園の保育園と久留米キリスト教会




マタイによる福音書22章36~37章 「先生、律法の中で、どの戒めが一番大切なのですか。」
イエスは言われた、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主なるあなたの神を愛しなさい。』
これが一番大切な、第一の戒めである。第二の戒めもこれと同様である。
『自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。』」



















悠子たちもわたしたちも幼子を愛していて丁寧に育てているつもりが
朝の忙しい時に幼子の好き勝手な振る舞いについ言葉を荒たげて
命令口調になる(自由を幼子から奪い子どもは泣きわめく)
ようになります。

「時間がないから早くして」社会はテンポの速い時間で組み合わ
さって構成されそれぞれの家庭が自由に幼子を育てるための十分な
時間の配慮に付き合ってくれません
ついつい保育園の登園時間や小学校の登校や勤務先の始業時間に
縛られてゆきます。
日曜日の礼拝すら家庭の平和な時間を奪うものだと悠子は教会に
誘うと反論します。


















人の自由は一人の人の思いではなく人が人とともに関係する
多くの人とのそれぞれの暮しの中に平和が実現することにありそうです。
そんななかでも一人一人の自由を保障してなお人々が交わる暮らしにも
自由と愛がきちんとある。
平和な世界が現実に人にあたえられてあるのだろうか。


















人には不可能でも神はおできになります。


















神を愛するとは人は人のできないことを認めて、
神の可能性を信じて生きようとする生き方と言うことができそうです。




















野原で腹をすかせた五千人へ食事を提供するときのように
不可能という弟子たちに
「まずあなたたちで行いなさい」と言われた
イエスの御言葉にならい祈りながら実行すること。



















いつまでこいてもこいても岸《目的》にたどり着けない荒れた湖に翻弄される
弟子が神の御力を目のあたりに認識することこそいの一番に必要なもの。




















東町公園でれいわ新選組の演説が始まりました。
民主主義はいの一番に神に伴われたひとの自由の交わりの初めそのものです。




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