2022年2月21日月曜日
午後から晴れてきました
2022年2月18日金曜日
満州国のポスターと板祐生
自分のために友をつくりなさい。聖書
わたしが満州国を体験したのは2008年モンゴルへ乗馬の旅に行ったときに博物館を訪ねたときだった。 モンゴルの記憶
背の高い人々が数人ならんでいる写真があった。モンゴルの隣の満州の高官とのことで、モンゴルの友人は日本の国だったと教えてくれた。
満州国のポスターは1931年の満州事変や翌年の満州国建国について詳しく記載されている。 このポスターを保存していたのは南部町の山奥で国民学校の教職をしていた祐生と同じ名古屋の教職である。
満州事変とその後の日満議定書を巡る調査がリットンにより国際連盟に報告される。
日本の軍事行動の違法性と満州国の傀儡性が指摘され、日本に勧告に従うように決議がされたが松岡洋介はこれに抗議して連盟から脱退する。
多くの日本国民は国際連盟脱退を熱烈に支持していた。当時の様子がポスターに刷られて大日本帝国の市井の人々に配布された。それが終戦と同時に満州國(1932年から1945年の間満州に存在した国家)のポスターが全国津々浦々から消えて無くなってゆく。
板祐生は「友人から戴いたものは粗末にすることはできない」と焼却を拒み続け大切に保管したことが祐生出会いの館に残されている。
そうして世の名もない一人ひとりの行為が隣人と繋がることにより真実が現わされ記憶され伝えられて行く。
神はそのひとりごを与うほどに世を愛れた、ひとりごを信じる者がひとりも滅ぶことなく永遠の命を持つためである。ヨハネ3:16
不正な富で自分のために友をつくりなさいと言うイエスのみ言葉が現在のわたしにも聞こえる。
2022年2月16日水曜日
祐生出会いの館を尋ねる
板祐生 (いた ゆうせい、 1889年9月24日-1956年2月5日) 明治時代から大正、昭和にかけての日本の版画家、収集家、孔版画を日本に復旧させた。 参考 板祐生の世界
発端が明治天皇崩御に殉死した軍人夫婦に国民的な言論が全国雑誌紙上に湧きあがった。祐生も南部町から乃木希典を追悼している。その時の言論交流が基盤となってコレクターへと繋がって行くことが祐生出会い館に資料としてあった。それから20年後、彼の
2022年2月12日土曜日
2022年2月9日水曜日
2022年2月6日日曜日
雪の降る中三回目のワクチン接種にゆく
三月九日悠子の出産に合わせ、雅子は伯耆町役場のコロナワクチン接種日を変更した。わたしの接種も雅子に合わせようと思い電話を入れると。「最終金曜日に調整するので明日ご連絡します」とのことで半分諦めていたが雅子と一緒の日に接種出来るようになった。
金曜日から山陰は大雪になっている。主日礼拝を 「希望をもって、共に生きる教会」 踊真一郎牧師 創世記 1章1節-2章4節前半 をインターネットで行い雅子と雪の中にでてゆく。
無事ワクチン接種を終えて灯油を買い足して帰って来る。
流石人口の少ない過疎の町だけあって丁寧な対応をされて感動する。
当たり前のことだがなかなか行政が行き届かない中ではコロナウイルス対応の善し悪しが死活問題であることに、世界の国民はきずいている。
2022年2月5日土曜日
立春が過ぎて明るさが増してくる
天気予報が日本海側が大雪になると予報していた。