2019年11月10日日曜日

祝賀御列の儀と想起











今から26年前に、



まりと雅子と悠子とでご成婚の祝賀パレードを家族で見たこと(出来事)がある。









まりとダニエルは、わたしたちとともに大山にいる。







人は想起によって過去の出来事を現在に蘇らせることができる。





大嘗祭という儀式も過去の出来事を現在に想起することで甦らせている。
歴史とは過去の経験を現在に甦らせることで成り立つ。



過去の経験も現在へ蘇りも、そこには人がいなければ成り立たない。






ひとは過去を引き継ぎ現在に甦えらせ、未來を変えてゆく力がある。


聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
このみ言葉は経験するひとであるアダムに復活させる力が及んでいることを語っている。



人は自分の経験を想起することとは全くことなる復活の経験に出会うことを語っている。



人の経験と想起は決して個人の経験の連続性ではなく突然変容する。
あたらしい他者の経験が加わることにより想起は一連のその人の連続性を絶たれる。

最後のアダムの想起はその人の経験に他者の経験が加わり霊性が変容されることによって成り立っている。



誰の経験も、他者の経験の中に喜びと感謝に変容されて世を新しくする。

わたしの目にはあなたは高価で尊い。という聖書のみことばはあなたの経験は他者を活かす。経験の価値を変容してゆく、世への贈与、祝福の源と宣べているようだ。





 

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