2018年11月18日日曜日

晩秋から冬へ

 
やっと、暖炉の煙突掃除をした。今日は薪をたいて暖かい二階で過ごす。
 
 


寒くなったので暖かい暖炉はありがたい! 

風邪ひかないようにー。

かほちゃんとイチョウ並木にいってきた。


 
 
 
 
 






農家の友人は腰の痛みが取れないらしい。
痛みといえば椎間板ヘルニアを患っていた同僚が最近亡くなった。


彼と御母堂とここ大山に三日ほど逗留してくれた。
悠子が中学生の頃の思い出を振り返っている。
農家の友人の言葉を借りれば、「団塊の世代もそろそろみんな衰えている。」
 




いつまでも青春の輝きが続くことはない。

風呂にゆくと人に出会い、知り合いになるがみんな70歳以上の人達。
どこかしこ体の不調を抱えている。
それが自然な状態で、軟骨がすり減って神経に刺さる痛さが、お湯でつかの間癒される。



 
 
雅子とわたしもここ大山でダニエルのように最後を過ごしてゆくのだろう。
来年三月にわたしの親しんだ車も廃車にする。
 


 
 
大山で生きる夫婦をささえているのは、愛着のある親しんだもの。
思いでは手放しがたいが実はそうではない。
 
わたしたちを創造された主の御力。 
 
雅子と二人いつも
御心のままになりますようにと祈っている。
 
 


Bourgogne Blanc  `  Chateau -Fuisse  `

 
 
主はわたしたちに善き隣人を与えてくださいます。
 
昼飯は
ふれあい祭りでいただいた鯛と
ガスの点検に見えた 方から戴いた
白烏賊のお造り。
 
つらい日常でも喜びが生きる力となる。


つかの間の癒し、あるいは喜び。
いただく喜び。

わたしは人々の交わりである挨拶にそれを見る。差し出された一瞬の微笑み。
 次の世代の子どもたちの表情にも死にゆくものには永遠の微笑み、希望である始まりとなる。

 
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。」
 
 
 

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