2017年10月8日日曜日

たたらの歴史を訪ねる


第17回 伯耆町・リゾート交流会第一部歴史探訪「出雲街道根雨宿にたたらの歴史を訪ねる」に参加。雅子と和子姉とで出かける。



午前八時半ロイヤルホテルを出発、金持神社出雲街道根雨宿を散策。大鉄山師近藤家・たたらの楽校・祇園神社等で奥日野ガイドクラブ講師の説明があり。古民家紗々樹で昼食をとりロイヤルホテルに帰って来る。







金持神社


金持(かもち)の地名とたたらの関係
日野町の金持の地名は、もともと鉄がでる場所のことを金地カネジまたはカナジと言ったことに由来しているとされる。



むかしから伯耆の国はたたら製鉄で名を馳せ、中央政権は伯耆の鉄を手にいれるために今の金持地区に上級官僚の藤原氏一族を派遣。藤原氏は現地で金持党と名乗った。

















出雲街道根雨宿
日野往来との分岐点にあり古くから交通上の要衝であったことから根雨は松江藩の参勤交代の宿場町として茶屋本陣がおかれていた。






たたら最盛期の明治初め日野郡には、鉄穴385か所たたら場35か所を数えた。
一か所のたたらは千人を養うともいわれ、三万人以上が暮らしていたという。



鉄山師の近藤家
たたらは基幹産業として地域を潤した。

















生田長江
日野郡貝原村(現・日野町根雨)に生まれた。1895年(明治28年)(13歳)、地元の日野郡高等小学校を卒業し、大阪桃山学院、1898年、プロテスタント系のユニバーサリスト教会で受洗し、聖書に親しんだ。






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