2017年5月30日火曜日

ダイワロイヤルホテルとビアホフガンバリウス



写真はアリゾナの住宅街、大きなサボテンが岩の間にあるとのことで。
コイノニア会の始まるまえにアリゾナの石田さんのメールに話が弾む。


家に迷い込んできたフクロウの子供
 
彼は、
 
祈って、傷つけることなく、
 
無事に外に出すことができました。とメールをくれる。
 
 

mRattleSnakeを眼前にしていても、祈れるものです。
 
瞬間の祈りですが、我々は瞬間に生かされていますから、

この瞬間に祈りが出来なければ聖霊と共に日々の生活はありません。

 






彼の瞬時の祈りについてわたしは教えられることがありました。






悠子からも、メールが届く。



寝返りが完璧に出来るようになって、毎日コロコロころがってます!






楽しめる遊び場みつけた!






雅子もわたしも、祈りは朝、昼、晩とともに食卓を囲む時。




日々健康で、美味しい食事をいただけることを主に感謝して祈る。



それ以外、日常で思いがけなく起こって来る出来事で意味が分からなく
どうしていいかわからないとき、




隣人と交わる時、いつも交わる前に主に祈る。
主と交わりるように他者とまじわることができますように聖霊を与え賜えと。



約束することに判断や予測のつかないとき、


思いがけずに隣人より善きものを戴いたとき、


嬉しいこと悲しいこと寂しいことのたびに主に祈る。




そういえば腹を立てている時に、わたしは主に祈れない。


わたしは主に祈りだす前にわたしには確かに何の根拠もない確信がある。

わたしが祈るより前に、神はすでに私を愛してくださりわたしに善きもので満たして
いてくださっているすべてよしという確信。

祈りは、主の善きものをわたしが気付かずにいるものを知るために、ある。




午後六時、雅子と歩いて風呂に行く。




大相撲夏場所も終わってしまい、



テレビの前から自由になると、新しい行為、雅子と散歩することができた。





自分が関心・固守する対象から解放されることで、自由になる。




主に祈るのは、自ら神に声をあげ祈りだすのは、



神のもとにある自由を。私たちが渇望しているからかもしれない。





神の自由は、人と人との関係が自由になること。
人と人の関係が愛に溢れたものになること。それを人が渇望しているからかもしれない。




心地よい湯につかるように、
永遠の命につかりたい。



神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

















このようにして一日が終わり、


また朝をむかえる。


野に咲く黄色い花が美しい。



夜にすぼみ、朝に花が開いている。










ロイヤルホテルで朝を過ごし
ガンバリウスまで散歩する。




行く道すがら



歩道を大勢の人たちが美しく手入れしている。


ロイヤルシティリゾートの人達のボランティア。



次回はわたしにも声を掛けてくれるようにお願いする。




十一時オープン、


大山が美しくみえます。


森の中のレストラン。





ヴァイツェンを一杯いただき、









散歩コースに一杯大山Gビールを戴き帰って来る。








大山の湧水が大成池から八郷までひかれている。




































































 

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