2016年6月5日日曜日

Sauve qui peut

友人が興味をもった内容を知らせてくれた。
3.11を心に刻んで2016 岩波ブックレット(岩波書店編集部編、780円)
(42ぺーじより抜粋)  内田 樹
Sauve qui peut
について記している。 



(前略)孤独に死ぬこと、死ぬ間際に言うべき言葉がないこと(あっても告げる相手がいないこと)。それがおそらく最も痛ましい受難のかたちなのだと思う。

冒頭に引いたフランス語は「ソーヴ,キ、ブ」と読む。船が難破したときに、あるいは戦線が崩壊したときに、指揮官が部下たちに告げる最後の一言である。





「生き延びることができるものは生き延びよ」。

指揮系統はこの最後のメッセージを以て解体する。組織的な活動はこのあとはもう行われない。以後は上官の指示もアドバイスもない。このような状況を生き抜くためのマニュアルもない。あとは自分ひとりの判断で生き延びる方途を探らねばならない。




このメッセージが極限的状況において発せられるものでありながら、決して絶望的なものに感じられないのは、この三単語から成る文が命令文であり、かつ、「救う」(sauver)と「できる」(pouvoir)というふたつの希望の動詞を含んでいるからだと私は思う。

命令文であるということは、
目の前に自分の最後のメッセージを伝えるべき相手がいるということである。
死を目前にしている「私」が、それでもひとりでないということである。
そして、その命令文は相手に向かって、厳密には相手の潜在している可能性に焦点を合わせて「(仮に私は死んでも)あなたに生き延びて欲しい」と告げている。





これは人間が他者に向けることのできる祝福の言葉の極限的なかたちではないだろうか。
死を前にした極限的な場面においてなお祝福の言葉を贈る相手がいる、その可能性を信じることのできる相手がいるという事実のうちに、この言葉の「救い」はあると私は思う。
(2015年8月11日)




なるほどどこかイエスの十字架の祝福にも似ていると思いながら心にとどめてすごしているといつの間にか六月に入っている。




Happy Rose Gardenの幸本さんからアルトサックスの演奏会を催すので来ないかというお誘いを受ける。




雅子と浮き浮きしながら演奏会を待った。
サックスについてクリスマスの演奏会で岸氏のダニーボーイの素晴らしい演奏に魅了された経験がある。



あのときめきを大山でも味わいたいという思いでいる。


死という極限の時ならず日常に、当たり前にのほほんと暮らすものにも隣人がわたしのそばににいて互いに祝福(暮らしの幸福)を共有できることは喜びです。





こんど演奏されるアルトサックス奏者坂本信文氏の演奏項目は


16曲で、サウンド・オブ・ミュージック 虹の彼方に ラヴィンユー 酒と薔薇の日々
テイク・ファイブ ムーンライト・セレナーゼ ブラジル マシュ・ケ・ナダ     アマ・ポーラ  など


最後にバラが咲いた・・Saxと一緒に歌いましょう となっている。


六月に与えられる主の恵み。


sauve 英語ではsave  保存。救う。

qui  関係代名詞 ~を

peut   peut-etre  力 パワー。多分 かもしれない



 

熟語となると元の意味からずれて解らない、然し。
生活を共有する人々にはよくわかる言葉になるのだろう。



頭上から薔薇の香りと花びらが落ちて来るテーブルでアルトサックスの音色を耳にしながらおいしいお料理を味わいつつ、

遠藤さんと席がご一緒になり今演奏されている音楽もさることながら、この辺りは民芸文化が
食器・彫刻や絵画も横山大観や河井寛次郎の名をあげるまでもなく盛んな所ですといった話から、一気に席が盛り上がりました。



伯耆久古の地を愛されているのが話の節々から垣間見られ、


アルトサックスの音楽とワインと手作りのお料理と会話を愛でながら楽しい団欒の時を共有しました。



(ここには歴史的な人の技術の継承がある)玉造は瑪瑙に穴をあける穿孔技師の集落だが他にもたたら製鉄など今でいうハイテク集団が石見出雲伯耆に事実、起源として居ました。

その起源の継承(歴史)について、つまり生活を共有するもの言葉について話題になり、久古地区(伯耆)の農家の子どもの助けをてごと云うのだそうだ。



石見銀山でも「間歩(まぶ)」と呼ばれる坑道の中で、(安政5年(1858)の記録では)

「銀掘(かねほり)」と呼ばれるタガネで掘る者が24人、「手子(てご)」と呼ばれる掘る手伝いをするもの9人・・・




彼の育った久古地区(伯耆)でも農家の子どもの助けをてごと云う。そのことを、石見銀山でも同じようにこどもの手伝いを「手子(てご)」と呼んでいた記録を見たとたん、
自分の子どものころに実家の手伝った記憶と重なって郷土に息づく人の言葉の歴史に触れて郷土の文化的素養はこのような人の生活の中で血となり肉となって受け継がれてゆくのだろうと思ったと話されていた。



フランスでもSauve qui peutの言葉に過去から受け継がれた人の経験があるのだと思う。







Sauve qui peutあなたが救われんことを。祈る。




教会で牧師がキリストを宣べ伝えるとき経験する言葉と同じだ。





Sauveur は救世主という言葉でもある。
























テイク・ファイブは初めてジャズに挑戦した思い出の曲と紹介されていた。



名前の由来は五分の四拍子、ジャズにはなかったリズムでトルコでブルガリアの演奏の影響を受けたストリートミュージシャンの演奏する(当時ヨーロッパではなかった)9分の8拍子で演奏される曲に出会った出来事がきっかけでできたリズム曲ジャズである。




異質な文化(個々おののの生活)の歴史をもつ多様な他者との出会い、人と人の出会いが新しいものを創造する道を啓く契機となる。







過分なおもてなしをいただきましてありがとうございます。


良き日を賜ったことを主に感謝いたします。


酒と薔薇の日々を演奏されている。





団塊の世代の人たちがここに居るのが良くわかる。


演奏が違和感なく皆さんの腹に落ちてゆく。








薔薇が咲いたを薔薇園で合唱してお開きとなる。



今年の薔薇も間もなく散って行く。
おのおの再び命を得よ。と。




(前略)孤独に死ぬこと、死ぬ間際に言うべき言葉がないこと(あっても告げる相手がいないこと)。それがおそらく最も痛ましい受難のかたちなのだと思う。
わたしはヨーロッパにわたるアラブの邦の難民に思いを寄せる。

「ソーヴ,キ、ブ」
船が難破したときに、あるいは戦線が崩壊したときに、指揮官が部下たちに告げる最後の一言である。

「生き延びることができるものは生き延びよ」。

あとは自分ひとりの判断で生き延びる方途を探らねばならない。

このメッセージが極限的状況において発せられるものでありながら、

決して絶望的なものに感じられないのは、この三単語から成る文が命令文であり、かつ、「救う」(sauver)と「できる」(pouvoir)というふたつの希望の動詞を含んでいるからだと私は思う。

命令文であるということは、目の前に自分の最後のメッセージを伝えるべき相手がいるということである。

死を目前にしている「私」が、それでもひとりでないということである。
そして、その命令文は相手に向かって、厳密には相手の潜在している可能性に焦点を合わせて「(仮に私は死んでも)あなたに生き延びて欲しい」と告げている。

これは人間が他者に向けることのできる祝福の言葉の極限的なかたちではないだろうか。
死を前にした極限的な場面においてなお祝福の言葉を贈る相手がいる、その可能性を信じることのできる相手がいるという事実のうちに、ひとびとに「救い」はあると私は思う。

海を渡る難民の現前にSauve qui peutを贈る人が居ますように。
ヨーロッパの人々の暮らしの歴史の中にある他者に向ける祝福の言葉が今日の日にも継承されてゆきますように。



 

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