2016年5月17日火曜日

榎田医師にご挨拶

Agenzia Nazionale Stampa Associataによるとローマ法王は
バチカンのサンピエトロ広場で開かれた謁見で、「猫や犬には大きな愛情を感じているのに、隣人の飢えは手助けをせずに放っておく人をしばしば目にする」と述べた。


教皇フランシスコのことでわたしは鳥取医大の一階ロビーで雅子が変形性股関節の手術の担当医師と面談している間に(ナザレのイエスが)生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られますと二千十三年四月二十四日サンピエトロ広場で語った信条について読んでいた。


                                              Chateau Croix-Mouton 2013


イエスが「生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます」と告白します。
人類の歴史は、男と女が神の像と似姿として創造されたことから始まり、キリストによる最後の審判で終わります。




イエスは公生活の中で、しばしばご自分が終わりの日に来られることについて述べました。

神の子は、すべての人をご自分に引き寄せ、神の開かれたみ手にうけ入れられるように全世界を招きます。



それは、歴史の終わりに、万物が御父に引き渡されるためです。しかし、キリストの最初の到来と最後の来臨の間には「今の時」が存在します。
それがわたしたちの生きている時間にほかなりません。



その間、わたしたちは信仰と希望と愛のともし火をともしつづけなければなりません。




主の再臨を待つ時間は行動する時間です。
わたしたちは行動する時間の中にいます。

この時間の中で、わたしたちは、
自分自身のためではなく、神のため、教会のため、他の人々のために、神のたまものから実りを生み出さなければなりません。




とくに現代のような危機の時代にあって、大切なのは自分の中に閉じこもり、自分のタレント、すなわち自分の精神的・知的・物質的な財産を、主が与えてくださったすべてのものを隠さずに、心を開き、連帯し、他の人に心をむけることです。





このサンピエトロ広場には多くの若者がいます。
人生の旅路の出発点にある皆様に尋ねます。皆様は、神が与えてくれたタレントについて考えたことがありますか。そのタレントを他者のためにどのように使えるかを考えたことがありますか。





人生は自分のために大切にしまっておくために与えられたのではなく、それを与えるために与えられたのです。





もちろんわたしたちはつねに次のことを心に留めなければなりません。
わたしたちは恵みによって、すなわちつねにわたしたちに先だつ神の無償の愛によって、
義とされ救われます。わたしたちは自分独りでは何もできません。信仰はなによりもまず、わたしたちに与えられたたまものです。
けれども、実りをもたらすために、神の恵みはつねにわたしたちが神に心を開くことを求めます。
 

                                           Eugene Blanc 2013


わたしたちの自由で具体的な応答を求めます。



キリストが来たのは、救いをもたらす神のあわれみをわたしたちに伝えるためです。
わたしたちに求められているのは、神に信頼し、いつくしみに満ちた生活と、信仰と愛に促されたわざによって、神の愛のたまもにこたえることです。




親愛なる兄弟姉妹の皆様。
恐れることなく、最後の審判に目を向けることができますように。



それによって、現在の時をよりよく生きるように促されますように。

神があわれみと忍耐をもってこの時を与えてくださったのは、わたしたちは日々貧しい人、小さな人の中に神をみいだすことを学ぶためです。


 善のために努力し、祈りと愛のうちに目覚めているためです。
わたしたちの生涯と歴史の終わりの日に、主がわたしたちをよい忠実なしもべとして認めてくださることができますように。



わたしは鳥取医大の榎田医師に診てもらっている雅子を待つロビーで教皇フランシスコの演説が人々に届くためにはひとびとが聖霊にたすけられなければ自力で誠実に自分の努力で行おうとすれば疲れ果ててしまうのを知っているので、復活の主ナザレのイエスの霊がその人に臨まれるように教皇ととともに祈った。

主よひとびとのうえに聖霊を来たらしたまえ。

 

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