2015年9月1日火曜日

聖霊の助けをなめられるな甘く見くびられるな


テモテ1 (4章12~16)

年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。




これはパウロが愛弟子テモテに語った言葉です。



私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。



聖霊のたまものを軽んじてはいけません。
これらの務めに心を砕き、しっかりやりなさい。




パウロが愛弟子テモテに確りなめられずにやりなさいと言っているのは、



聖書の朗読と勧めと教えを聖霊の賜物に助けられて確りとやりなさいと叱咤激励して、そうすればあなた自身も、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことがでると証ししています。




ここでパウロがテモテに語っているのは年が若くても若くなくても神が建てた権威をしっかり守ること、すなわち聖書の理解と日常の適応にキリスト・イエスの十字架の贖いの救いを証しすること、十字架の贖いをどう自分の目でみてどう理解するのか、どう日常に適応するのか、すなわち私たちの生き方を決めてゆくということを聖霊によって確りとやりなさいということでしょう。

聖霊の賜物はイエスの御顔と出会いキリストの贖いの与えてくださる聖霊を日常で他者とともに共有して生きるということになる。それは山里牧師によれば互いを軽く見ない、お互い尊敬し合う。主にあって愛し合い支え合い励まし合うということになる。このような聖霊の賜物の交わりを地上で行って行くことは、



神の前で等しく平等であることと互いの霊性(思想信条)を尊重する言論の自由を尊重する自由と神以外に絶対者がいないゆえに人は皆お互い相対なものである〈一人ひとりの意見を愛する、すなわちキリストの愛する一人一人の父の霊性を尊重する天の御国への招き〉で可能になる。

互いの人権/霊性を重んじる、互いに愛し支え合う社会である。
そういう意味でヨーロッパに押し寄せる難民たちにキリストの御手が
差し延べられますように。




永遠の命について、


ともに聖霊によって、



新しい現実をありのままの日常で証ししてゆきたい。



恵みの御霊が



一人ひとりに、



滅びから命に立ち返り、日本においては戦争から平和へ、


ヨーロッパにおいては難民に援助を
成就するため、一人一人の(聖霊)が共に活動することが



出来ます様に、

イエスのみ名によって祈ります。






 

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