2015年4月4日土曜日

欅を切り倒したもの




貝塚聖書教会の祈り会で後ろの家の方から欅の落葉について大屋根のとゆに落ち葉がたまり苦情があり新芽の出る前に欅を切ってほしいとの要望を受けていて、切らなければならないのを解っているが資金がないため植木屋を手配することができなく自分たちで欅を切り倒さなければならないことについてお祈りしていただきたいと祈りの課題を挙げていた。牧師はご近所の方と平和が保たれるように主によって力が与えられ解決できるように祈ってくださいました。






私の友人である松浪さんが玄関側の欅と百日紅の大木を裁断して熊取の環境センターまで620㎏の庭の植木の搬送をてつだってくれた。




それでも間に合わず結局植木屋さんに裏の欅を根元まで伐採を依頼することになる。
そして今日めでたく伐採することを完了した。






季節は新緑のころをむかえ桜がさき小鳥たちは囀りだしている。
いつも美しい声でなく小鳥たちは私の家には来ない。

切り倒された欅の後を見て寂しい気持ちになる。





25年の歳を欅とともに暮らしてきた。ご近所の方々が秋になると現金を拾うわけではない欅の落葉拾いにうんざりされているのを理解しながらも。私たちにとって夏の涼しさと秋の紅葉の美しさと春の若葉の新緑の芽生えの美しさに感動して、ついつい魅入られてご近所様のご迷惑に甘んじてきた。






今年からは、欅の落葉について家の前の欅の落葉を除いて裏の欅は二本とも根元で処分されているのでこ近所に被害を及ぼすことはない。

わたしは若葉の自宅を手放したくなったわけは欅の木との別れも多少関係しているように思っている。






自分の好みで生きてゆくわけにはいかない。ご近所迷惑も考えないといけないこともわかっている。しかし欅のあの甘美なやさしい枝の葉の風に揺れるさまと小鳥たちをたわむれさせる優しい憩いの時の現実を知っている故、それを失ってまで欅のない若葉の館に居続けたいとは思わなくなっいる自分に気づいている。



ご近所の方もご主人の介護のために大切にしていた杏珠の大樹を、毎年美しい春の花と実をつける立派な樹を切り倒し手すりのあるスロープを創られたように。それぞれに最上の選択をして生きている。



 
 
明日は主が復活をされる。
 
 
今は死の淵を歩まれておられる。
 
 
私たちの暗き
 
淵より呼ばわる時
 
 
確実に
 
私たちを死の淵から助けられるのを確信できます。
 
 
 
 



若葉の自宅も、死と復活の時をむかえている。






あたらしい夫婦の歩みのために、





欅との生活のために、

新しい自然の中の生活が復活する。




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