2014年10月21日火曜日

普段の生活にもどってゆく

もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない。



悠子は京都へ、薔薇はもう首を垂れてくる。






呼び鈴をならし

魚屋さんの声がする。





好物の海老の天ぷら、






ダニエルはなにも無く


ふてくされています。





早速ミヤイさんへ
感謝をこめ振り込みを完了する。









2014年10月20日月曜日

故小阪登久子葬儀式


皆で記念写真をとった。


教会で昨夜搬送された母の棺の前で再び記念写真をとる。









栄子がやってきて、母の立て看板の前で記念撮影。










おじさんとおばさんが葬儀に参列記念写真を一枚。










定刻に葬儀式が山里牧師により執り行われる。









浩治が母の棺を担いでいます。

















これで地上のお別れと思うと胸を打つものがある。










2014年10月19日日曜日

主の日



午前10時、家族で教会へ行こうと玄関までゆくと、ご近所の山本さんと
田中さんが見える。

母の顔をみて暫く介護の日々を振り返る。
「ようやりはったねぇ、なかなか家で看取るのは大変なことやぁから。」
「頑張りはったわ、お母さん大満足したと思う。」




教会で礼拝後、イオン貝塚で食料の買い出しして、和子姉を呼んで
一緒にお昼ご飯をいただく。






マッサンの話に盛り上がり、ポットスチールは(堺市製造)今も山崎にあるらしい。










外国の人たちの訪問が多くなっている。





わたしは、もう皆の頭の中には母のことは過去の出来ことになったように
感じた。



午後五時前、赤坂屋さんが見える。


「もう御母さんとあえへんかなと思いながら、今日朝から海南から下津までハイキングに行ってきた帰りで、急いで飛んできたとのこと。」





昨日奥ケアーマネジャから御母さん日曜日に教会へ搬送されると聞いていたので、もう家にはいないかなぁと思いながら来たとのこと。








今夜九時に宮井さんが教会に安置してくれることになっています。
明日いよいよお別れです。






もう十分御母さんを(観)み(治)おさめしたでしょう。
雅子「この人あかんねえ、女々しく切り替えができへんいつまでも」











貝塚聖書教会へ搬送を松田のおじさんと留津さんが見守ってくれます。






ダニエルは寂しそうにしています。








2014年10月18日土曜日

公へ告知と応答


世話になった人へ母の死亡をお知らせする。









今日は多くの人が母をたずねてきてくれました。







朝は夫婦二人の食事。
午後から鈴木さんが炊き込んだ鶏飯とお茶を持参して訪問。
モリの酒屋さんは梅干しを、理恵ちゃんと御母さんもご挨拶に見える。





私は親しい友人、や知人やご近所の方たに葬式の日を伝えに行く。





葬式までこんなに永く自宅にとどめておくのは稀とのこと、
まりの時は二週間自宅にとどめていたことから思うと、
決して永くない。







ダニエルの時は雅子が手放せないだろう。




宮井社長がドライアイスを詰め替えてくれます。




さかなやさんにも母の死を知らせる。




今日はお祝いに鯛を半身、お造りにしてもらう。
我が家の定番たこやきで母とのまもなくの別れの時の準備をする。






お悔やみの言葉が届く、

 


ご近所さんや、 おとなりさん ... がやってきて
話しに 花が咲く ...





矢野さんから気を落とさないようにとの慰めの言葉が届く、
森さんは一生懸命やりきったら悲しみはなく、喜びがあふれてくる
とおっしゃっていましたが、その通りです。



大田さんもやってきてくれる、夜遅く悠子も来る。






ほんとうに御心に適った悲しみは、喜びと真実を私たちにもたらしてくれます。