2013年9月30日月曜日

ジャストタイミングの訪問診療



関西医療診療所の医師が開いているなかつじクリニックにゆく。
トイレで座っているときいつものような左手の動きではないので
肩を手で触ったら肩が脱臼しているように思えるので医師に診てもらうために
連れてゆくと脱臼してないようだ一応レントゲンを一枚撮っておくかという事でレントゲンを撮るとやはり脱臼している、医師曰く痛がっていないところを見ると相当前からこんな様態で生活していたとのこと。
入れてみるも入らず、痛がっていないのでこのままいいんとちがうかとのこと。
脳障害のため痛いのが解らないのかもしれない。




二時間遅れで食事をとる。水分を摂取しているとき呼吸が苦しくなる。
丁度都合よく訪問診察のため伊藤医師が見える。



食後、息が荒いのですと声をかけると、すぐ母の診察、酸素89で脈120で今までなかったこと。
脈拍140が続くと危ないらしい。肺音がキューとなる喘息のような音がするらしい。
血液検査と、レントゲン撮影をすることになり。
今からベッドで安静にすることと、食事と水分摂取は伊藤医師の許可があるまで絶食になる。







医師に手伝ってもらい母をベッドヘ。息が荒く苦しそうにしている。






三宅さんが沢山引き連れて見える。
レントゲンと血液検査のために採血する。




肩の脱臼で痛たそうと三宅さんが言うので、永山で整復した方がいいのかもしれない、
伊藤医師に母をベツトから動かして永山に行ってもいいかその件も合わせて
連絡をいただけるようにお願いしました。




伊藤医師から連絡が入る。
白血球11,300の数値で炎症が体の中で起こっている。
胸のレントゲンでは肺炎は写っていないが、肺炎の可能性がある。
酸素がだんだん落ちてきているので、今は安静にして数値がよくなってから
脱臼の処置をした方がいいとのこと。
午後六時の永山病院の予約をキャンセルする。





 

2013年9月28日土曜日

Ercol



ダニエルと同じ名前のアーコール日本代理店がある。




母と同じように経過劣化によって椅子のクッションの機能が劣化する。




アーコール家具は高島屋でメンテナンスしていた。




今は時代が変わって高島屋はアーコールを扱つていない。





大阪駅の北側にできたうめきた・グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル5階にショールームがありそこに連絡を取るとなんとかアーコールについて相談を受けることができる。




へこたれた椅子のクッションを新調しようと思っている。



家具も車もピアノもカメラも長くメンテナンスしながら使用するもの。



キャノンのカメラはメンテナンスで使用する体制はない。




ベンツはまあまあだが代理店の部品はバカ高い。



家具もクッションについて連絡取っているが、如何になることか ・・・・ 。



家のアーコールの家具は30年経っている。



まだまだ美しく、消耗品であるクッションを取り換えればぐっと良くなる。




世界に誇る家具メーカーならインターネットの発達した現在消耗する布製品について
直接カタログ注文の体制を整えてもらいたい。
イギリスポンドの交換レートは既に三十年前の(1£レート500円)からは安くなっている。
今なお日本で輸入品が高いのはどこかおかしいのだろう。


 

2013年9月24日火曜日

祈りに支えられて命を全うする幸せ




栄子に電話する。
北浜にあるはまだ眼科の定期検診があるので10時から16時まで来てもらうように依頼する。








特別養護老人ホームにいる父親は、排尿が自然に出きるようで、
七月の事件以来バルーンを挿入しなくても、生活ができるらしい。




有難いことです、母も父親も元気にいることは。









昼食後暫くして留津さんが見える。







母に「登久子さんのために賛美を歌ってみことばを読みお祈りをするから聞いておいてね」と声掛けして賛美歌を私たちに手渡ししてくれる。




雅子とわたしは留津さんが配ってくれた讃美歌を喜びあふれて賛美する。



そのあと、今から読む聖書箇所は最近お母さんを亡くされた方のお葬式で朗読されたものですと言って

ヨハネの黙示録14:13を朗読する。




また私は、天からこう言っている声を聞いた。




「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』




御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。
彼らの行いは彼らについてゆくからである。」





同じ思いで母に接する人が主にあって開放されているのを実感しました。







留津さんありがとうございます。全てを乗り越えて主にあって生きる人の喜びの



讃美が地の上に満ち満ちているのを






実感しています。





多くの人々の祈りに支えられて命を全うすることは幸せです。














 

2013年9月21日土曜日

死は忌避すべきものではない








Medoc de Citran 2004



このワインは舌にまろやかで従順な魂に似た飲み込みのスムーズさを私に教えてくれる。




ベッドで極楽な顔。
雅子曰く、お母さん寝るのが一番幸せ。
私、死ぬともっと幸せいつまでも寝ていられる。





雅子、だから安心なんや。
私、私たちにとっても安らかです。

死は※敗北で人が忌避すべきものではないと私たちは確信しています。


敗北語源由来辞典
敗北の「北」は、方角を表しているわけではない。 「北」は、二人の人が背を向け合っているさまを示した漢字で、「相手に背を向ける」「逃げる」の意味もある。 そこから、戦いに負けて逃げることを「敗北」という。


逃げる」理由などクリスチャンである私たちにとって何もないことが勝利だと思っています。

イエスは何人にも背を向けたことはありません。
顔を真正面に人々に向けられて言葉を語っています。

死の間際にさえも人に顔を向けて「あなたは今日私とともにパラダイスにいます。」と
言葉をかけています。


また、「右の頬をぶたれたら左の頬も差出しなさい。」 と

人を侮るか、怒るか恐れるかの関心で終わるのではなく、その人との真実を掴みとりなさいという言葉かけです。このことは人が人と暮らすためにとても大切なことだからです。