2013年6月11日火曜日
2013年6月9日日曜日
放蕩息子
神の偉大さは明白な事実です。人がどんなに頑張っても、月と星を配置し、季節を地に巡らせ、山の小鹿の出産に立ち合い、土深い虫たちの命を育むことはできないからです。
放蕩息子を赦す神の愛は人を愛するその愛の受容のおおきさを語っている。
牧師はそれゆえ恵み深い神の愛のみ前に罪を悔い改め、許されて神の御心にすべてをゆだねて生きようと薦めて説教が終わる。
それにもかかわらず、わたしが神と等しく、神に語ることが出るのは、なにゆえだろう。
牧師はそのことを見逃している。
放蕩息子の神の偉大さを語ることは、人が神の偉大さにあずかっていることを忘れている。
人は、いつでも再起することの素晴らしさに、神の御心があることを牧師は見逃している。
死んでいたものが生き返ったのだから祝おうではないか。
イエスの十字架の贖いは、いかような罪人についても、罪を悔い改めて人生を始めることが出来る証しである。
神が崇められる栄光は同時に人が卑しめられてはならない。
人が神に開放される喜びと不可分である。
今日の説教は神の愛と人の愛と比べてなお神の愛は誰に対しても受容の大きさに圧倒されることを語り、だから、偉大な創造者(神)に愛されているのですから神のみ前に人が己の罪を悔い改め神の導きにゆだね神を崇めるようにで終わる。人のつぎが語られず終わる。
わたしは牧師に神の栄光は同時に人が卑しめられてはならないと、(人が神に開放される喜びと不可分であると)何遍も語っている。
イエスの十字架の痛みは神の痛みであり、その愛の偉大さゆえに、あなたはどんなところにおいても再びやり直すことが出来るという事とに結びつく。
人は神の愛の偉大さのゆえに再び再起できるのでなければ、神の死は人と何ら無関係なものになって死んだままになってしまう。
然しイエスは死者の中から復活するのです。
キリスト者はイエスの復活にも預かり生きているのです。
神の偉大さを賛美することは、人はいつでも始めることのできる新しい創造を神から与えられていることと一体表裏の関係なのです。
2013年6月8日土曜日
2013年6月6日木曜日
2013年6月3日月曜日
主の日教会にて
エペソ一章一節から十四節
パウロは冒頭から神への賛美を捧げて。
神の栄光はキリストにあってあまりにも豊かであると告白していました。
パウロ自身、ダマスカスでイエスの御声によってモーゼとイスラエルの神は己の思いをはるかに超えておられることを思い知らされている。
パウロの実感をわたしたちは聖書によって日常の暮らしで再体験することになる。
アブラハムやイサクやモーゼの神は私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようとしておられることに牧師は感動していました。
聖霊を受けたからです。
パウロと同じように聖霊を受けて神の真実を知ったのです。
日々人々の暮らしで聖書にあるパウロの言葉を、
わたしたちは体験出来ると神が証されているのです。
木岡さんは夫と死別後、自宅を売却して一人マンションで暮していたが今はそこ出て老人ホームで暮らし始める。
なんでと尋ねると、一人で天に召される暮しのために選択したとのこと。
結婚して所帯を別にしている娘さんに心配をかけたくないという事が心の奥にあるらしいが、娘さんに気を使うことはおかしいと岡本さんは言う。「わたしは、一人で暮してそうして死んで行っても本望です。だから誰も私のことを心配せんといてと言っている。」
先日米寿をお祝いした松田さんは「そろそろ死ぬこともあると考えせんとアカンと思っている。いつ死ぬかわかっていたらいいんやけど」と言っている。
内田さんは、「イエスさんは天であなたがたの住まいを準備したらもどって来てお迎えすると行ってはるから、まだお迎えがないのは準備できていないんやわ」と思っているという。
教会に行けば、それぞれ人の言葉に出会う。
悠子の後輩が近々結婚するという。
教会の受付にいた婦人がいつも夫に頼っていたのが、
単身赴任中の夫に相談できずに娘の緊急の病に際して
自分がしなければならない決断の重大さを思い知ったとのこと。
先ほどの結婚する息子の父親は遠く離れて暮らしているので
なにごとも具体的に身近に感じられないという。
透析で週三日病院に通っているが、透析を受けている心境を同じ病になって死んでいった学生時代の友人が優しくしてくれて嬉しかった思い出が、今同じ病になってまた慰められている感覚であるという。
キリストにあって自身の病と向き合う言葉をお聞きしたいと思っている。
悠子も母になるだろう。母親にこどもが誕生するように、
いろいろな子どもの親の死と別れもある。
わたしは日常で死を語る人がいることが今はなにより嬉しい。
教会でも日本の社会でも死を迎える人々が身近にいる、
身近な人をみなくて避ける祭司やレビ人には聖霊は真実な言葉を
顕さないだろう。