2013年5月15日水曜日

従軍慰安婦と聖書



母の兄が脱腸の手術をした病院から加納の自宅に帰ることなく出兵して戦死した、兄のことを思い出すたびに母親に会いたかっただろうにとわたしに語っていたことを思い出す。戦争で手術の痕も癒えないままさぞつらかっただろうにと言う話を母から聞くたびに辛くなる。
平和な時代に生まれた幸いを感謝するとともに、平和に対して責任を負う気持ちになる。





バングラデイシュの首都ダッカ近郊サバールのビル崩壊で生存者2,438人、遺体1,127人が縫製工場が入ったビルの崩壊で、若い人々の特に女性たちの被害が発生した。
バングラディシュの基幹産業が大手資本のアパレル関係の下請け産業であり安い労働賃金で、人権(生命の安全)に支払うコストを無視した劣悪な環境で働く若い女性たちの縫製現場が映し出されていた。





軍国主義の時代の日本の従軍慰安婦も、イエスの時代のマグダラのマリアのような娼婦も、生きて行くために選択せざる得ない労働、(娼婦が胸を張る労働でないため余計に差別されるが)に従事する人達の境遇はイエスの時代も今も変わりがない。





イエスは女に掛けた言葉がわたしの胸を打つ。





この女を見ましたか。わたしがこの家に入ってきた時、あなたが足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。





そして女に「あなたの罪は許されています。」
人としての権利の回復を宣言します。





「あなたの信仰があなたを救ったのです。」
神とともに胸を張って生きて行きなさい。





何時の時代でも人は境遇によって自分の思いとはかけ離れて思うように生きようとしても生きられない場合があり、いわれのない差別を受けてしまいます。





差別は社会的な構造から発生している場合、個人の力ではどうしても拭い去ることはできません。




それにもかかわらず個人に責任を押し付けて、差別から利益を得て何食わない顔をしている人々に神は、語るのです。

「あなたはわたしのためになにもしてくれなかった。」

政治において責任を果たす立場の方はこの言葉を十分吟味しなければなりません。
あなたは何もしなかったと言われないために。







隣人にせめて微笑でもいい、あなたが関心を示すことができれば、






状況は違ったものになるだろう。









人はイエスにある関心を他者に示すことで神の国が
現れると聖書が語っているようです。


十字架のうえで
あなたは今日わたしとともにパラダイスにいると
イエス自ら最後の証をされています。


 

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