2012年11月2日金曜日

聖霊降臨




ナザレのイエスにある霊性は、
今を生きるわたしに息づいている。


安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。


    わたしはこのイエスの言葉が好きだ。 ただ好きだという気持ちでイエスと繋がつているのを感じる。  
霊性をこんなふうにして感じれられる。わたしの聖霊降臨認識術。       わたしが京都へたずねて行った人も、「個人としての人間の人格的な自由」こそ、イエス様のみ霊の価値するものと、わたしと同じように感じているのが好きです。



人格にある『自由』、が他者との交流に既に聖霊降臨を求ているのを実感した。




 

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