2011年6月17日金曜日

六月十七日  ブタペストからリユブリャナへ行くことに決めた訳



手に持っている切符の写真は
シギショアラの駅で買ったブタペスト行のキツプ。
なぜブタペストに行くのかこれから説明する。




セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニアの国をめぐる予定であつたが、二つの事情でスロベニアだけを選択した。
一つは経費の問題。
そしてこれが一番大きな要因だが、外務省の海外安全情報を参考にした結果。


スロベニアは安全なところらしい。
それは歴史的に六世紀スラブ人の侵入後、フランク王国の支配する国になり、
14世紀以後は神聖ローマ帝国の支配下にあり、チェコと同様
ローマカトリック教会の影響を受け、
他の南スラブ人地域とは異なった西欧的性格をもつ。


それに引き替え、ボスニア・ヘルツェゴビナはオスマン帝国の支配するところとなり、
イスラム色がつよい。
クロアチア、セルビアは同じスラブではあるが、
一方はローマカトリック、他方はギリシャ正教会が支配する歴史を持つ。

バルカン半島のこれらの全ての地域は、
ソ連が1989年の東欧革命まで支配していたが、

次々に独立を果たした。
その過程で、
壮絶なスラブ民族間の戦いが2005年を超へて最近まであった。

セルビアの街の境界線でいまも地雷が敷設されていると聞くと行きたくなくなった。
時々、イスラム勢力のテロも起こっている。

そういうことで、列車はベオグラードに行くためにとんでもない苦労をした記事をインターネットで読んでいたので、ルーマニアから乗り換えのないブタペストを選んだ。


そういうことで、ブタペストから安全なスロベニアを経由して、旅の最終地ローマバチカンへ行くことにした。








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